2016年1月31日・・・キリストが与えて下さったもの
私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。ヨハネ1:16~17
ヨハネによる福音書は、キリストがなされた働きの見えない部分を深く解き明かしています。ベツレヘムで誕生やナザレでの生活の様子には触れていませんが、イエス様が何者であるか、何をなされたのかを、彼は証言しています。この方は、世界の始まる前から、神と共にあったひとり子、世界を創造された神であられます。神であられる救い主イエス・キリストが、私たちに何を下さったか、共に確かめましょう。
《第一に、やみに打ち勝ついのちと光です(4,5,9節)》
周囲を照らす光がなくなった時と同様に、罪の内を歩む者の心はやみが覆っています。自分の状態が見えず、死をのがれられない人生の中でどこに向かっているかが見えません。しかし、光が注がれればやみは晴れます。そのように、神の御子がきよい光を放つと、罪のやみはきよめられ消え去ります。「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」(イザヤ9:2)。光である救い主が世に来られました。キリストは、示します。真の神を、人の罪を、救いの道を、正しい道・希望を。この方が罪を聖め、私たちを豊かないのちで満たします。
《第二に、神の子どもとされる特権です(12、13節)》
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」(12節)。罪とは、神を拒み神に逆らうことで、神との愛と信頼、いのちの結びつきを破壊します。罪の結果は、死、つまり神との断絶です。神との結びつきが断ち切られた人間は、愛や喜びや平安を失います。やがていのちは朽ちていきます。そして終わりの日・・・に神のさばきを受けて、神の前から永遠に断ち切られるさばきが臨みます。キリストは神との正しい結びつきを回復するために来られました。キリストは十字架の身代りの故に、罪を赦して下さり、死から復活されたご自身のいのちを、私たちに与えて下さるのです。キリストはさらに「神の子どもとされる特権」をもたらされました。神を「父」と呼んで親しく交わることができます。神はご自分の子を決して捨てません。キリストと共に天国を相続します。
《第三に、恵みとまことです(16、17節)》
旧約聖書(モーセ)は律法によって神が求めておられる人間のあり方を示されました。律法は正しく良いものでした。しかし罪に支配された人は、悪いと知りながら律法を破るので、さばきを招くのろいに終わるのです。しかし、キリストは罪から救う恵みと真実をもたらされたのです。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です」(エペソ2:8)。キリストはご自身で十字架に架け、用意された「罪の赦しと永遠のいのち」を、受ける価値のない私たちに、好意ある贈り物として、差し出して下さいました。そして真実をもって信じる者を、幸いの内に守り導いて下さいます。「聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない』」(ローマ10:11)。