2016年2月21日・・・十字架の力によって
さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。
コリント前1:10(10~17)
《教会に争いは必然》
確かに人が集まれば問題が生じ、仲間割れが出る。それは、聖霊の働きも鮮やかな初代教会の、使徒パウロが直接に指導したキリストの教会でも例外ではない。コリント教会に仲違いがあり、集会に分派があった(11:18)。人は主義主張の正しさよりは好き嫌いで動き、正邪ではなく損得や快不快で事を決め、人からの評価を気にして言動を左右する。繁栄した当時の商業都市コリントには、人の心が金銭で動き、驕慢軽薄な風潮がわがままを助長する傾向が教会にも及んだのであろう。敬虔な姿勢は見られず、自己主張を信仰で装い、「私はパウロ、いや自分はアポロ、ペテロだ」と、贔屓の伝道者を勝手に看板に掲げ、それに知恵を誇るギリシャ人らしいもっともな理屈をつけて争う。それが神のしもべの伝道者を偶像に祭る愚行であることさえ気づかない。それはコリント教会だけの醜態ではない。私たちの教会は、これから大きな課題に挑戦する。だから意見の違いから、対立と争いを起こす可能性は少なくない。私たちはなおも罪深い。好き嫌いで人を誘いまた遠ざけ、自分好みグループを作るような、愚かでわがままな自他の傾向に留意していよう。
《争いへの対応》
使徒パウロは、そんな愚かな教会の信徒たちに、「さて、兄弟たち」と切り出す。「弟子の君たち」と高みからの説教ではなく、「主イエス・キリストの御名によって・・・お願いします」と勧める。批判や命令ではない、自分も許され引き上げられた、問題だらけの人間であることを承知して、相手の変化と成長進歩を祈りつつ接する。しかし「クロエの家の者から知らされ」と、噂ではなく、確かな情報に基づく教会の大事な問題であることを示して、真摯に語りかける。そして問題の発生が教会の結末を示すのではなく、何が真実か明確にし(11:19)、信徒と教会の信仰を成長させる契機でもある。限界が神への期待を起こさせ、死が再生への入り口であることを忘れないようにしよう(ヨハネ11:25)。私たちは人の言葉や知恵、人間的な計算や理屈で信仰の業を決めてはならない。十字架の愚かな言葉に、福音に道を譲る信仰が求められる(1:17、2:4、5)。
《教会の一致とその秘訣》
「みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください」との一致は、万事を上から統制されるような意味ではない。「からだが一つでも、それに多くの部分があ」(12:12)るのは、音楽に例えれば、モノトーンでもユニゾーンでもない、コーラスの豊かな一致、ハーモニーを目指す一致だ。福音に多くの人が預かって救いを得、十字架の主を賛美する素晴らしいハーモニーのコーラスを目指し、私たち各自は宣教に励み、弱い人に仕える(9:19~23)。キリストの十字架こそが、私たちの教会に与えられている神の力であることを証ししよう。