2016年3月6日・・・すべての人をあわれもうとして
なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。ロマ11:32(19~36)
本当の神様がおられ、イエス様が本当に救い主なら、どうしてこんなに多くの罪や不信仰がはびこっているのでしょう。上のみことばは、この疑問に対する神様の答えです。どういうことなのか共に確かめましょう。
《すべての人に神のあわれみが注がれます》
「ひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がった」(ロマ5:12)。これは現実です。罪のない人はいません。最初の人アダムと同じように違反を犯さない私たちが、彼と同じように神から離れ、自己中心の罪の内に生きています。人との平和を保てず、神との平和を失っています。神がそうされたのは、「すべての人をあわれむため」でした。不健康なのに、病気の自覚がなかったら、実は貧しいのに富んでいると勘違いしていたら、いつまでも真の健康や豊かさは得られません。ひとりの人の違反によってすべての人を罪と死が支配するようになりました。しかしこの事によって、キリストに結びつく必要が明白になったのです。人類の救いのために成されたキリストの十字架の救いは、信仰によってしっかり受けとめることを通して遥かに確実にもたらされました(5:17~18)。
《あわれみを受けてなかった人にあわれみがもたらされます》
イスラエルは神に選ばれ、特別の恵みをいただいて神と共に歩んできた民でした。それなのに、イスラエルはこの方を拒んで、十字架にかけてしまいました。彼らがキリストにつまずいたのは、彼らが滅びるためではなく、「彼らの違反によって、救いが異邦人に及」ぶためでした。そして、異邦人の祝福によって「イスラエルにねたみを起こさせ」やがてイスラエルもキリストを求めて救われるためでした。主は、悪や不信仰をも用いて、神の真実と救いをもたらして下さいます。高慢からの挫折を通して、使徒ペテロは造り変えられました。敵を激しく憎み争う失敗を通してヨハネは愛の使徒に変えられたのです。主は、逆境を思える事を通してご自身の栄光をあらわして下さいます。十字架はその最たるものでした。
《人の理解を越えて働かれる主に信頼し主に期待しましょう。》
「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう」(11:33)(1コリ2:9)。確かなことがあります。聖書の預言は成就し続けています(マタイ5:18)。主に信頼する者は失望に終わりません(ロマ10:11)。主の御名を呼び求める者はだれでも救われるのです(ロマ10:13)。限りある自分の知恵と力で神や聖書を信じないと言わないように、自分の知恵を越えておられる神だからこそ、主を信じましょう(ロマ11:36)。