2016年3月13日・・・最大の委託・宣教命令
マタイ28:18~20十字架の贖いの後に復活された主イエス様は、弟子たちに、宣教の命令を授けられました。これは、主が委ねられた最も光栄ある働きです。
《イエス様の全能の権威》
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」(18節)。イエス様はご自身の証しされた権威を、復活によって証明されました。キリストは、約束の救い主、創造の前から父と共におられた神の御子、世界をご自身のために創造され保っておられる支配者、ご自身の十字架の贖いによって罪の赦しとさばきの権威を父に委ねられたお方です。キリストの福音宣教の命令は、すべての権威に優る権威をもつ方の、絶対の命令です。《弟子とし、バプテスマを授け、訓練する》
「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(19節)。救いはキリストの十字架の復活の福音を信じて罪を赦され、神の子とされ、天国の住人となることです。救われなければ弟子をなることはできませんが、弟子とすることが教会に与えられた命令です。弟子となる必須の道は「自分の十字架を負って、主に従う」こと。十字架を負うとは、自分の思いもいのちも時間も一切捨て死に至るまで究極の服従をささげることです。この道は世の人々は避けますが、世界が創造される前から神が私たちのために用意され、主が先に通って証明された、栄光の道・幸いの道・喜びの道です。「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け」。御父は、すべての計画し、御子を遣わされました。御子は父の命令に従って私たちの罪に罪の赦しと救いをもたらされました。聖霊は、御子の救いを知らせ、信じる者にキリストの恵みをもたらし新生させてくださいます。この三位一体の神の救いを信じて、罪に死に神に生きるものをされたことを、水に身を浸めてそこから上がることを通して告白し、弟子の群れ、教会に加わるのです。
「わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい」(20節)。救われた者は、弟子として主の教えを実践するために学ぶのです。みことばを行なおうとするならば、また、行なおうとしてこそ主の教えを理解することができます。教会において私たちは主のことばを、一生かけて実践しつつ学び、また受け継がせて完成していきます。
《いつも共にいて守り働かれる》
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(20節)。イエス様はこの後、天に戻られるが、見えなくともいつも主は聖徒たちと共におられる。だから恐れることはない。聖霊が聖徒の内に住み、キリストの愛と恵みを満たし、主の御心を伝えてくれるのです。主が十字架につけられた時、恐れの極みにあった弟子たちが、復活の後、何者をも恐れずに大胆に福音をあかしして行きます。この事実が、主がともにおられることのあかしです。主は今も私たちと共におられ共に働いておられます。