2016年4月17日・・・バプテスマのヨハネのあかし
ヨハネは答えて言った。「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中にあなたがたの知らない方が立っておられます。その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」ヨハネ1:26〜27(14−28)
使徒ヨハネは、もう一人のヨハネである預言者、バプテスマのヨハネの証言を伝えます。彼は、イエスの母マリヤの親族の老祭司夫婦に与えられた子でした(ルカ1章)。彼の名は御使いを通して生前からヨハネと名付けられ、救い主の先触れをする預言者として選ばれていました。彼は、どのようにキリストを証ししたでしょうか。
《第一に.キリストが遥か前から存在しておられた方である(14〜18節)》
ヨルダン川のほとりにいた彼のことばを聞きに、大勢の人が国中から集まってきました。人々に届くように、ヨハネは大声で伝えます・・・「私の後から来る方は私にまさる方である」と。マリヤが救い主の母になると告げられたのは、エリサベツが後のヨハネを身籠って6ヶ月たった時(1:36)で、彼はキリストの誕生の前に生まれました。しかしヨハネは、キリストが、自分よりも前からおられたことを証しします。後にキリストがあかしされたように(8:58、17:24,55)、キリストは世界の造られる前からおられた方です。《第二に、自分が、キリストをあかしする「声」にすぎない(19〜24)》
ヨハネのめざましい働きを見て、人々はこの人が救い主ではないかと期待し、指導者たちは使いを送って「あなたはどなたですか」と尋ねます(19)。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ。』と荒野で叫んでいる者の声です」と彼は答えました(イザヤ43:3)。最もすぐれた預言者であっても、キリストに遥かにおよびません。人間と救い主には、決定的な違いがあります。それは「造ったお方と造られた者」、「永遠に生きておられる方と死ぬべき者」、「神のことばであるお方と、神のことばを伝えた者」との違いです。《第三にキリストは遥かにすぐれたお方である(25〜28節)》
ヨハネは、自分はこれから来られる救い主に比べたら、くつのひもを解く「値うちもない」価値のない者だと告白しました。救い主の十字架の苦しみを予感する程に、ヨハネは打ち震えながら、私は、あなたにそうしていただく価値の全くない者です、どうしてそこまで私をあわれんで下さるのですか、と告白せざると得なかったのです。ヨハネは、この主の絶大な愛と恵みと犠牲の故に、身を低くして、いのちがけで、救い主を証しし続けます。やがて、自分の弟子たちを救い主のもとに送るのを喜び、主の前に聖く仕えながら、殉教していきました。キリストを信じて仕える者の心は、キリストの絶大な恵みを知って「この方のために価値のない自分であるが用いていただきたい。「この方のために自分を献げ尽くしたい」と願う謙遜と献身です。イエス・キリストの十字架と復活を信じる者は、ヨハネにまさるすばらしい人にされ、すばらしい人生・働きをすることができるようにされます。