2016年4月24日・・・見よ。世の罪を取り除く神の子羊
その翌日・・・、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。ヨハネ1:29(29−42)
バプテスマのヨハネが、自分はこの方の靴のひもを解く値打もないと証した翌日・・・に、イエス様が姿をあらわされます。ヨハネはイエス様を見て、上の聖句にあるとおりにキリストをあかします。そして彼の弟子であった二人がイエス様のもとに導かれました。彼がキリストを指して語った冒頭のことばを心に刻みましょう。
《第一に、神の小羊として犠牲をなるために来られました》
「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです」(ヘブル9:22)。旧約の時代には、人々が罪が赦されるためにいけにえの聖い動物をささげました。しかし動物の血は、罪を聖めることはできず、かえって罪を思い起こさせました。それは「真のきよめ」をもたらす救い主を待ち望ませるためでした。やがてキリストは、イスラエルがエジプトから救い出されたことを記念する過越しの祭の時に、十字架で死なれます。傷のない小羊のいけにえの血よって、死のさばきを逃れ、約束の地に向けて出発した出来事は、やがてキリストがご自身の血によって人類の罪をきよめ、天国をめざして出発する救いを予表するものでした。《第二に、世の罪を取り除いてくださいます》
「罪」とは「まとはずれ」、本来の道やあり方から外れた状態を指します。神が人を造られた時に持っていた神との幸いな結びつきを、最初の人が自ら神との約束を破ることによって壊してしまい。その結果が人類の子孫全体に広がってしまったのです。また「世」は、世界、人間社会をさすことば、特に「罪に支配された世界」を指しています。キリストは世の罪を取り除くために来られました。ヨハネは、「悔い改めのバプテスマ」を説いて授けました。しかし、キリストは「聖霊によるバプテスマ」を授けてくださる方です。キリストの遣わす神の御霊が信じた者に働き、キリストの救いを各自にもたらします(ローマ8:11)。さらに、信じる者が聖霊に自分をゆだねて従うことを通して、聖霊が満ち、私たちをキリストに似た者とし、キリストを大胆にあかしするように用いて下さいます。《第三に、キリストを見よ、との招きです》
「見よ」とヨハネは、キリストを指し示しました。この方を見ること、知ることによって人々は信仰に導かれるのです。アンデレともう一人の弟子はバプテスマのヨハネの弟子でした。ヨハネがイエス様を指し示した時、二人はイエス様を見てついて行きます。イエス様は「来なさい。そうすればわかります」(:39)と二人に声をかけられました。二人は、イエス様によって、この方が救い主キリストであることを信じ、さっそく仲間に証しました。今日・・・、私たちがこの方を信じるために必要な全てのことが、聖書によって明らかに示されています。私たちは聖書に求めることでキリストを見ることができます。キリストを仰ぎ見なさい、そうすれば救われます。キリストを見続けなさい、そうすれば信仰の確信と理解が深まり、成長します。(ヘブ12:2)