2016年6月5日・・・来なさい。そうすればわかります。
イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日・・・彼らはイエスといっしょにいた。時は第十時ごろであった。ヨハネ1:39(35〜42)最初の弟子、後の使徒となった二人が、イエス様を救い主として信じるように導かれた出来事をこの箇所は伝えています。私たちがどのようにイエス様を信じる信仰に導かれるのかを、この箇所を通して確かめましょう。
《第一に、示されてイエス様のもとに行きました(35〜37節)》
その時、二人の弟子がいっしょにいました。ヨハネが、「見よ、神の小羊」と告げるのを聞いて、二人はイエス様について行ったのです。クリスチャンは、イエス様がどんなお方か伝えるだけです。行くかどうかはその人が決め、神様に導かれた人々は、自分でイエス様のところに行きます(6:37)。また救われるために私たちがすることは、自分でイエス様を知ろうと求めることだです。教会も聖書も何も隠していません。このオープンな教えが、世界の始まりから、聖書としては3500年に渡って変わらないで生き続けています。そして世界の1/3が信じており、クリスチャンはみな、信じて良かったとあかししています。ぜひイエス様のもとに行って確かめてほしいのです。「求めなさい。そうすれば与えられます・・・」(マタイ7:7)《第二に、イエス様が二人を迎え入れて、信仰に導かれたました(38〜39節)》
イエス様は、私たちのことを覚えておられ、見つけてご自分の方から語りかけられます。的外れな答えをも受け止めて導かれます。イエス様は、ご自分の宿に招き入れ、ご自身を示して下さいました。本人と会って話す方が遥かに良く知ることができます。心を開いてイエス様の招きを受け入れましょう、主は、礼拝・クリスチャン・祈りを通してご自身を現わされ、最終的には、聖書と聖霊があかしして下さいます。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(黙示3:20)。《第三に、イエス様を救い主と信じる確信に導かれました(40〜42節)》
アンデレは、自分の兄弟シモンにイエス様を信じたことをあかししました。「私たちはメシヤに会った」と簡潔で確信に満ちたあかしをし、イエス様のもとに連れてきました。メシヤに会ったとの証言は、イスラエル人にも全世界の人々にとってもずごいことです。聖書があかししている通り、2000年前から約束された救い主は、アブラハムの子孫から生まれ、全ての国民に神の祝福をもたらす方。神の子であり、全世界を正義をもって支配する王であり主なる神です。恐しい権威を持っておられると同時に、くすぶる燈心をも消さない優しさをもっておられます。また、ご自身のいのちを犠牲にし全人類の罪を負って苦しんで死によみがえられます。主はアンデレの兄弟シモンを「ペテロ(岩)」と名付けました。熱心だが軽率なシモンでしたが、試練をによって強くされていき、教会のリーダーとされました。神様は世界を創造する前から、私たち一人一人に最善の計画をもっておられ、豊かな実を結ばせて下さいます。