2016年7月17日・・・信じる者を救うために来られた御子
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。ヨハネ3:17(16〜36)
ヨハネ伝の特徴は、神であるキリストを中心に示すこと。他の福音書が記していない出来事に焦点を当てていること。そして、キリストのお働きと周囲の反応を記すだけでなく、後に明らかになったその意味を説き明かして、私たちがイエス・キリストをよく知って信じるように導いていることです。キリストが、どんな資格と権威をもっておられる御子であるか、共に確かめましょう。
《御子キリストは、神の愛の証拠です(16節)》
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。この節は、聖書全体の中心聖句です。神はご自身のひとり子を、罪に支配されている私たちに与えられました。神ご自身を知らせるために、御子を人の姿にして地上に送り、御子は、神をあかしすると当時に、私たちを愛して仕えて下さいました。そして聖書の預言の通りに、私たちを罪から救うため十字架で死に復活して、罪の赦しと永遠のいのちを与えられました。御子を信じる者は罪に定められることがなく、御子を信じる者は、神のいのちにあずかり、主と共に永遠に生きます(ロマ8:11)。
《御子は、世が救われるために遣わされました(17節)》
御子は、さばくためではなく救うために来られました。姦淫の現場で捕えられた女性を赦された通りです(8章)。御子は全世界と罪をさばく権威を持っておられます。御子は、神であられ、父なる神からさばきを委ねられました。さらに、きよいご自身のいのちを人類の身代わりに犠牲にされたゆえに、信じる者の罪を赦すことができるのです。「御子を信じる者はさばかれない。御子を信じない者は、すでにさばかれている」(18節)。すべての人は、自分たちを造り生かし、すべての必要を満たしておられる神に逆らい、自分を中心に生きています。罪から救って下さる唯一の道を拒んだら、罪に留まり、罪の報いを受けるのは必然の結果なのです。そのさばきは、光である御子を拒むか受け入れるかによってはっきりします。
《御子は、十字架のあかしをもって、救いに導いて下さいます(21節)》
神(上)から来られた御子と、地から出る者は、絶対的に隔っています。救い主が天上の事を話しても、だれも理解できず、受け入れませんでした。罪の問題の深刻さは、罪の故に救い主が絶対に必要なのに、罪のために救い主のことばを理解できず、救い主のもとに行くことができないことです。だれも受け入れなかったと前に記されているのに(22節)、ここでは(33節)「受け入れた者は」と告げています。どうしてでしょうか。それは、御子が十字架によって万物と和解して下さり、十字架によって神の赦しと愛をあかしされ、十字架によって神が罪人を愛しておられることを、私たちが知ったからです。聖書は私たちに改めて宣言し、信じて救われるように招いています。「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる」(36節)