2016年8月14日・・・王室の役人の息子のいやし
イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。
ヨハネ4:50(46〜53)
イエス様がサマリヤを通ってガリラヤに戻られた時、カペナウムに帰られる前に、かつて水をぶどう酒に変えられたカナに留まっておられました。その時、カペナウムにいた王室の役人の病気の息子が高熱のために死に瀕していました。この病を通してイエス様は、ご自身の栄光をあらわされます。みことばを見て行きましょう。
《父親は、息子のためにイエス様を探しに行きます(47節)》
イエス様の家があったカペナウムに、その家族は住んでいました。既にイエス様は多くの病人をいやしておられました。高熱に苦しむ息子を見、案じた父親は、イエス様に望みをかけていましたが、主は、ユダヤに行かれて留守でした。その時にガリラヤのカナに入られたという事が知らされ、まる一日・・・かけてその町に行きイエス様を探し当てて、「下って来て息子をいやしてくださるように」願います。イエス様ならば、家族を救ってくれると信じる思いが届いたのです。私たちも自分のためだけでなく、家族のために、イエス様を求めましょう。
《主は、ご自身のことばを信じて帰るように導かれました(:48〜50節)》
主は言われます、「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない」(48節)。自分が願っている結果を得られないかぎり信じようとしない態度は、この父親だけの態度ではありません。信じる信じないかを自分で結果を見て自分で判断するというけろ、高ぶりこそ私たちの不信仰の中心なのです。見ないでも信頼して信じる信仰が、罪から救われ、まだ見ぬ天国に入るために必要なのに、踏み出そうとしない不信仰です。その父親に、主は冒頭の聖句のように、見ないで信じるように語りかけられました。そして父親は主のことばを信じて帰途につきました(50節)。主は、権威あるみことばをもって命じられ、権威あるみことばによって保証されました。それを信じる信仰が必要です。主の権威あるみことばこそ、私たちに見ないで信じる救いの信仰を得させる神の力です(14:1、ローマ1:16)。
《父親の信じた信仰を通して、救いが家族に広がりました(:51〜54節)》
みことばを信じて帰る途中、こちらに向かってくる召し使いから、息子の回復の朗報を聞きます。時間を問うと、それはちょうどイエス様が「あなたの息子は直っていますと言われた時でした。彼は、主が息子を直されたことを確信して、家の者たちにあかしします。こうして、父親も、母親も、息子も、しもべたちも、家の者全員が、イエス様を本当に救い主だと信じました。主の奇蹟は、私たちがこの方こそ聖書の約束した救い主であることを証明する「しるし」です。この奇蹟を通して、主は、イエス様は、見ないで信じる信仰こそ必要なこと。どんなに離れていても、すべてご存じでご自身のみわざをなして下さること。主が、信仰の正しさを証明し、家族や周囲も信じて救われるように導いて下さることです。