2016年8月28日・・・父との一致の内に働かれる御子
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。ヨハネ5:19(15〜29)
世の光として来られた救い主のみわざは、光を信じて人々に救いをもたらすと同時に、光を拒む罪をあらわにすること(3:17以降)が、現実となりました。しかし、迫害を通してイエス様は、ご自身がどんなお方であり、どんな救いをもたらすために来られたかをはっきりと示されました。
《第一に、敬虔に見える人の内を自己中心が支配していたことです(15〜18節)》
礼拝を通して神の祝福をいただくために定められた安息日・・・が(マルコ.2:27)、指導者の特権を守らせるための規定にされていました。安息日を破ったとして、指導者たちはイエス様をののしり非難します。イエスが神の子であることを認めず、神を冒涜していると怒って殺そうとしました。自分の信念が神のあかしよりも先になっていたからです。自己中心の深い根は、「自分が正しいとみなす」ものを基準にして、神に対しても譲ろうとしない所にあります。光である御子によって、罪の自己中心を暴かれた彼らは、救い主・神の御子を拒み、偽証によって訴え、不正な証言、裁判官を脅迫するまでして、キリストを死刑にすることでした。私たちは、主によって自分の罪が照らされた時に、拒んではなりません。
《第二に、御子キリストは、ご自身の全き義をあかしされました(19〜23節)》
御子は、父への完全な愛と信頼と従順をもって、御父との一致をあかしされました。これが神との正しい関係、聖書の言う「義」です。さらに、御子は義の模範となるだけでなく、ご自身の完全な義を、私たちに与えられます。支配者たちは、キリストを十字架にかけ、これで邪魔物は去ったと安堵します。しかし御子は死者の中からよみがえられ、弟子たちの信仰をもよみがえらせます。そして彼らは、キリストの復活を力強く宣べ伝え、彼らを通してキリストの義が、迫害に勝利して広がり続けているのです。
《第三に、御子キリストはご自身の義を私たちに与えられます(24〜29節)》
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです」(24節)。これは今いただいている救いです。この救いは、永遠に至ります。御子を信じた者は、朽ちない栄光のからだによみがえり、いつまでも主と共に神の祝福の内に生きます。それは、ただ神の御子を信じて救いの恵みを受けただけです。一方御子を信じない者は、終わりのさばきの時に、よみがえって永遠のさばきを受けます。かつて主を拒み教会を迫害した「罪人のかしら」であったパウロでさえ、キリストを信じてキリストに似た者に変えられ、こう証しします。「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです」(2コリ13:8)。真理とはキリストです。