2016年9月4日・・・キリストをあかしする証拠
わたしについて証言する方がほかにあるのです。その方のわたしについて証言される証言が真実であることは、わたしが知っています。ヨハネ5:32(30〜47)
ご自身を神の御子であるとあかしされるイエス様に対して、指導者たちは、「偽り、神への反逆」だと訴えました。ここに記されているのは、訴えに対するイエス様ご自身の弁明です。これを通して、イエス様のあかしの正しさを確かめましょう。
《第一に、神のみ心のみを求めているので、主のあかしは正しいのです(30節)》
「わたしは、自分からは何事も行なうことができません。・・・そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです」(30節)。これは神の真実と全知全能に基いた証明です。私たちの確信でもあります。主が、ご自身のみこころを求めるたましいに、みこころを知らせなかったり、嘘を教えるわけはありません。みこころを求める者を正しく導かれないはずはないのです。人間でさえ自分の子供に偽りや悪いものを与えようとはしないのです。どうして神が、真実に求める者に正しく教えないことがあるでしょう。この確信は、私たちの正しさの証明ともなります(ヨハネ7:17〜18)。
《第二に、主のあかしは、多くの決定的証言に支えられています(31〜39節)》
複数の証言によってこそ正しいさばきとなるとの戒めを、支配者と確認した上で、主は数多くの確かな証拠を示されます。彼らも認めている預言者、バプテスマのヨハネが、イエス様がキリストであることを証言しました。父なる神が与えられた、数多くの奇蹟のみわざが証言しています(36節)。指導者であるニコデモも認めていました(3:2)。父なる神ご自身が、天から語って証言されました、「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい」(ルカ9:35)と。聖書があかししています(39節)。人類が堕落した直後から、救い主の約束は、預言のことば、イスラエルの歴史、人物による予表、礼拝のいけにえ、を通して、それが神の約束でありご計画であることが証明されています。聖書のあかしを否定することは、世界と世界の歴史を否定することになってしまうのです。
《第三に、反対者が認めないのは、神の栄誉を求めないからでした(40〜47節)》
これだけ決定的な証拠がありながら、彼らがイエス様を信じないのはどうしででしょうか。指導者たちには神の愛がありませんでした。自分だけを愛し、自分の誇りだけを追求し、神の愛が入る余地がなかったのです。その結果、敬虔そうに見えながら、神を拒み御子を拒んでしまったのです。彼らが愛したのは、互いの人間的な栄誉を求める人たちだけでした。そして彼らは御子を信じない不信仰で一致して、御子を迫害してゆきます。同様な、かたくなな心が私たちのうちにあるでしょうか、、、無いとは言えません。しかし、この醜い自己中心の罪から私たちを救うために、主は十字架にかかり、よみがえって下さったのです。主のもとに行き、主に罪を赦していただき、罪を聖めていただこう。主は決して捨てられません(6:37)。