2016年9月11日・・・愛のうちを歩みなさい
長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ。私はあなたがたをほんとうに愛しています。私だけでなく、真理を知っている人々がみな、そうです。2ヨハネ1(1〜8)
敬老記念礼拝の日・・・に、使徒ヨハネが晩年に記したこの手紙から、主のみこころを伺いましょう。晩年ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれ、礼拝で勧めを依頼されると、ただ「兄弟たち。愛し合いなさい」と語ったとのことです。この手紙において使徒は、主にある愛について、どんなあかしをしているでしょうか?
《第一に、あなたがたを愛していると大胆にあかししました(1節)》
ヨハネは自分が、夫人とその子どもたちを「本当に愛している」と告げます。さらに彼だけでなく、「真理を知っている」(つまりイエス・キリストを信じて主と共に歩んでいる)者は全員、あなたがたを本当に愛している、と告げるのです。良心に恥じないでそのよう表現し、実行できていたら、どれだけ平安だし、うれしいでしょうか。年を重ねて、経験や知識は増えますが、体力や健康は衰えていきます。体や思考が自由にならなくなっても、人として愛と信頼の係わりを保ち、喜びや励ましや希望を最後まで与えることができる道があります。キリストの救いがそれを約束し、あかししているのです。《第二に、愛をあかしできるのは、真理であるキリストが内におられるからです》
このことは、私たちのうちに宿る真理によることです。そして真理はいつまでも私たちとともにあります(2節)。「本当に愛しています」と言えるのは、キリストを信じる者は、真理であるキリストを内に宿しているからです。キリストは真理です((ヨハネ14:6)。そのキリストが私のうちに生きておられます(ガラテヤ2:20)。そして、キリストが、信じる者の愛を完全なものとして下さったのです(1ヨハネ4:15-17)。愛する人が与えられて、私たちは愛そうとする思いを持し、また互いに愛し共に生きる中で、愛することを学ぼうとしますが、人の愛はこわれてしまいます。私たちの愛する力は、愛である神との結びつきがあって初めて完全に発揮されるのです。
《第三に、聖徒が互いに愛し合う事は、キリストの愛のうちに歩んでいることと切離せません(4-6節)》
ヨハネは、夫人の子どもたちの中に、真理のうちを歩んでいる人たちがあると喜んでいます。真理(=キリスト)のうちを歩むとは、御父から受けた命令、すなわち、「互いに愛し合いなさい」との命令の通りに、歩んでいることです。キリストを信じて救われた事によって、神の愛が内にもたらされ、神の愛によって神の命令を行なえるのです。まだ全員がそうでなくても、キリストにある愛は、必ず全体に広がると確信していたので、彼は全く喜ぶことができたのです。私たちも同じです。主に委ねて、愛と信頼の種を蒔き続けましょう。御父の命令に従って歩むことは、愛のうちを歩むことです(1ヨハネ4:19-5:5)。愛すること、愛をもって祈ることは、私たちが生涯の終わりまで役立つことのできる働きです。主の愛を知り、主にあって互いに愛し合えるように祈り、主に導いていただくのです。