2016年9月18日・・・主の養いの奇蹟
そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
ヨハネ6:11(1〜14)
「五千人の給食」は唯一、4つの福音書に共通して記された奇蹟です。五つのパンと二匹の魚を用いて、主は弟子たちと共にこの大群集を養われました。この奇蹟が、何を私たちにあかししているでしょうか。
《イエス様は弟子たちを用いようとチャレンジを与えられました(5-6)》
男子だけで五千人ですから、女性や子どもたちを加えると倍以上いたでしょう。主は喜んで群集を迎え、教えといやしの働きをされました。日・・・暮れが近付いても彼らは留まっていました。心配した弟子たちは群集を帰らせるようと主に相談したことが別の福音書に記されています(ルカ9:12)。主はピリポに「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか」(5)と問われます。主がご自身のご計画がありつつも(6)、弟子たちにどうしたら良いか考えさせたのです。主の弟子になる時、これまで経験しなかった問題や課題に直面します。新たな祝福と共に、新たな課題が出てきます。神様はそれらを通して私たちを訓練しておられるのです。
《弟子たちは、イエス様を信じ切れないで、がっかりしていました(7-9)》
ピリポは、たとい手持ちを費してパンを買っても足りませんと答えます。そもそも山の中腹にいて今さら、どうやってパンを買って来れるでしょうか。アンデレはともかく、提供できる食べものがないか尋ね回って、少年の手持ちのパンと魚を見つけました。しかし彼の考えは、「こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう」(9)でした。課題に対して、ピリポのように初めから無理とあきらめたり、アンデレのように取り組むのはいいですが、やっぱり無理だと結論づけた事はなかったでしょうか。それでも彼らは主のもとに行き主のチャレンジを受けとめ反応しました。信仰は、主の語りかけをともかく受けとめ、「無理です。無理でした」でも良いから、主に答えるところから始まります。ともかく重荷を主のもとに持って行き、主から逃げないようにしましょう。
《主は、ご自身に献げられた小さなものを用いて偉大なみわざを成し遂げられます(11-13)》
イエス様は、少年の持っていた五つのパンと二匹の魚を受け取り、感謝し祝福されてから、群集を組にして座らせ、弟子たちに託して配られました。すると「彼らにほしいだけ分け」ることができたのです。主の御手のうちで、わずかなものが、大群集の空腹を満たして余りあるものとなりました。そして、すべての人が十分食べたあと、主は弟子たちに「余ったパン切れを、1つもむだにしないように集めなさい」(:12)と命じられました。集まったパン切れで十二のかごが一杯になりました。これまでもそうでしたが、主には不可能はなく、主に信頼する者は、主の全能の力を体験するのです。私たちの持っているものがたといわずかでも、主がお用いになるのに何の問題もありません。