2016年10月16日・・・イエス・キリストの栄光の福音
イエス・キリストは私の救い主です。イエス様は、万物を造られたお方です(コロサイ1:16)
私の人生の目当てがこのお方にあるなら、私の人生は必ず祝福されます。私が信じている救い主イエス・キリストは、知恵と愛と力に満ちたお方です。私にとって最善が何であるかをご存知であり、その最善を願ってくださり、そのために必要な力、助け、導きをお与えくださいます。
聖書は神様からのお手紙です。神様が私たちに知ってほしいことをお書きになったものですから、聖書は長い手紙です。私が聖書を初めて読んだのは、高校3年の時に米国テネシー州のホーム・ステイ先で個人伝道を受けたときです。聖書は、厳しくも、はっきりと「義人はいない。ひとりもいない。・・・すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ(ない)」と私の心に迫ってきました。それまで私は、私に命をお与えくださった神様を知らず、私が神様との親しい関係を求めることをずっと待っていてくださった神様の愛をも知らずに、自分を神として生きてきたのです。これは最も大きな罪です。当然、自分の満足のために、醜いこと、汚いこともしました。聖書は、「罪から来る報酬は死です」とも記しています。「罪から来る報酬」とは何と恐ろしいことを、と思いました。しかし、自分の罪をよく知っていたので、聖なる神様に「罪を一度も犯したことがありません」と言えなかったのです。私もいつか死ななければならない理由がわかりました。神様に背を向けて生きてきた私は自分の罪のために死ななければならなかったのです。自分の真の姿と自分が置かれている状況が分かりました。
感謝なことは、先にあげた聖句には、それぞれ続きがあったのです。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです」(ローマ3:23、24)。「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ6:23)。神様は、私の真の姿と同時に、その惨めな状態、恐ろしく危険な状態からの救出の道をお教えくださいました。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8)。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)。私は、「こんな罪深い私を愛してくださるのですか。イエス様の十字架の死は私の罪のためであったことを信じ、イエス様を救い主として信じるだけで、罪が赦されて、天国へ行けるのですか」と驚きました。信じられないようなすばらしい知らせです。しかし、神様のお約束に間違いはないと信じ、私はその日・・・、イエス・キリストを私の救い主として信じました。罪の中に死んでいた者が、イエス様と共に生きる者になったのです。イエス・キリストの福音以上にすばらしい「良い知らせ」があるでしょうか。(習志野バプテスト教会牧師松山英樹)