2016年11月6日・・・正しいさばきをしなさい
うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをしなさい。
ヨハネ7:24(1-24)
あと半年でイエス様が十字架にかかられる時でした。この箇所の中心テーマは「真理を知る道」、主ご自身とその教えが神から出た真理であることを、どうしたら知ることができるかをあかししています。
《第一に、私たちがみこころを行なうべき時はいつでも来ています(1-9)節》
最後のガリラヤでの働きにおいて、ユダヤ指導者たちは、イエス様を殺そうとしていました。主の兄弟たちは(マタイ13:55)、人々が集まるユダヤに行って大勢の人々に奇蹟を行なって見せなさい、と意見します。主はいつも父のみこころを成しておられたのにです。兄弟たちもイエス様を信じていませんでした(ルカ4:24)。イエス様は彼らに言われます。「わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがたの時はいつでも来ているのです」(:6)。主の時(ご自身の使命である「十字架の贖いを成し遂げられる時」はまだ来ていませんでした。私たちがなすべき事は「イエス様を信じる事、、、さらに従う事、自分をささげる事、あかしする事」です。その時は、いつでも迫っているのです。私たちは、この事を自覚しているでしょうか。「あなたのみこころを行なわせて下さい」「あなたのみこころを教えて下さい」と祈り応えましょう。
《第二に、真理は「みこころを行なおうと願うなら」わかります(10-18)節》
イエス様は、時が来てなかったので秘かにエルサレムに上られます。指導者たちは、主を探し回り、群集は指導者を恐れて、公然と語る者はいませんでした。緊迫した時に、イエス様は祭りの中頃、大胆に宮で教え始められます。イエス様はご自身の教えが、ご自身を「遣わした天の父」のものである事を証しされます。信じようとしない彼らに、主は、真理の客観的な判定基準を示されます(17,18)。「神のみこころを行なおうと願う人」は、教えが神から出たものであるかを判定できます。神が求める者に真理を教えて下さるからです。また、「(自分を遣わした)神の栄光を求める人」は、真実で不正がありません。神の栄光を求める者を、神が真実に導いて下さらないわけがないからです。人の親でも、子どもが良いものを求める時、それを与えます。神はなおの事です。
《第三に、「うわべで人をさばかないで正しいさばきをしなさい」(19-24)》
ご自身を殺そうとたくらんでいるユダヤ人たちに主は問い返されます。「モーセがあなたがたに律法を与えたではありませんか」。律法は「殺してはならない」「偽証してはならない」とはっきり命じています。イエス様を「悪霊につかれている」と指摘する彼らに、主は、先になされた一つの大きな奇蹟を思い置こさせます。いけにえを献げる重労働を認めていました。彼らは、労働を禁じていた安息日・・・でも、恵みのわざである割礼は認めてました(マタイ12:5)。主が長年病気に苦しんでいる男をみことばによっていやした神の恵みのわざを、どうして安息日だからと禁じるのでしょうか。みこころと神の栄光を求めて、神と人との前に正しい判断をいただくのです。