2016年11月27日・・・あの人のように話した人はいません
役人たちは答えた。「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」ヨハネ7:46(38~53)
信仰と従順をもって聞こうとはしない人々に、なお主イエス様は愛をもって語りかけられます。イエス様の語られた言葉とその応答を通して、私たちが聞くべきことば、語るべきことばを見つけましょう。
《主は「わたしのもとに来て飲みなさい」と呼びかけられました(38-39)》
仮庵の祭りの最終日・・・、各自が自分を点検し悔い改める「きよめの集会」の日に、主は大きな声で呼びかけられました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」。主が主が一切の必要を満たし、一切をさばかれる事を知っている者は、そして主の恵みと救いを求める者は、まずご自身のところに来るように主は招かれました。主イエス様は、私たちのすべての必要を価なしに満たすために来られました(イザヤ55:1-2)。また、ご自身を信じる者は「聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」と約束されます。天の王座に就かれたイエス様は今も、ご聖霊を通して、私たちの必要を満たして下さいます。不足を感じたら即ちに主のもとに、感じてなくとも常に主のもとに行くのです。《群集の間に、信じるか信じないかの分裂が起こりました(40-44)》
主のみことば決断を迫ります。ある人々は、主が神のもとから来た預言者、救い主だと信じます。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」(ローマ10:17)。別の人々は、「まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう」と言って信じようとしません。ガリラヤから良い者は出ないという、人間的な偏見に囚われていたからです。彼らは、真剣に求めず。「異邦人のガリラヤは光栄を受けた」と語った預言(イザ9:1)も、主が実は預言の通りベツレヘムで生まれたこと(ルカ2:1-12)も知りませんでした。偏見に固執し、半端な知識のまま、イエス様を拒んではなりません。真剣に確かめましょう、、、「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイ7:7)。態度をはっきりさせましょう・・・「わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい」(黙示3:15)。《反対していた指導者たちも二つに分かれました(45-53)》
イエス様を捕えて来られなかった事をとがめる支配者たちに、役人たちは答えます。「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません」(46)。イエス様は、だれも持つことのできない主の権威をもって語られました(参:マタイ7:29、ヨハ18:6)。支配者は「おまえたちも惑わされているのか」と咎めますが、罪に惑わされているのは役人や群集ではなく、彼らの方でした。ニコデモなど議員の中にも心ある人たちがいて、自分達が律法の教える公正なさばきを破ってはならないと主張します。しかし彼らは「あなたもガリラヤ出身なのか」と非難し、キリストを拒み続けました。こうして最後の仮庵の祭は終わります。半年後に、イエス様は十字架で死なれます。ほとんどの人がイエス様を見捨てました。しかし主はご自身がキリストである事を復活によって示されました。そして今も、ご自身を神の御子・救い主を信じることを改めて求めておられます。