2016年12月11日・・・わたしは、世の光です
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」ヨハネ8:12(12-30)
姦淫の女性の事件の後、主は改めて、ご自身が何であられるか、これからご何をされるかを、大胆にあかしされました。主が語られたみことばを通して、イエス様がどんなお方かを知りましょう。
《世の光であるわたしに従う者は、いのちの光を持つ(12-20)》
イエス様は光であられ、世を照らされます(1:9-10)。光には、照らし・聖め・いのちで満たす力があります。イエス様は、私たちの真の姿を照らし出し、罪を赦し聖め、そして私たちを永遠のいのちで満たして下さいます。この宣言に異議を申し立てるパリサイ人に、主は「わたしを遣わした天の父が共に証言している」からご自身の証言は真実だと答えられました。イエス様は、この天の父なる神をあかしするために地上に来られたのです。彼らはイエス様の理解を理解できず怒りました。しかしまだ十字架の時が来ていなかったので、だれもイエス様を捕えることはできませんでした。イエス様は世界の光です。父なる神のもとから遣わされた御子イエス様に照らされてこそ、私たちは神を知ることができるのです。
《信じないあなたがたは、わたしが行くところに来ることはできない(21-27)》
厳しい真実を、イエス様はユダヤ人たちに告げました。「この人は自殺するつもりなのか」という反応は、彼らがイエス様を追い詰めることができる、という高ぶりから出た考えでした。彼らは、イエス様のことばを全く理解できていなかったのです。主はもう一度説明されます。「あなたがたが来たのは下(地上)から、わたしが来たのは上(天)から」、初めから天におられた子なる神が、私たちを救うために天から地上に降りて来られたのです。「わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬ」と主は宣告されます。「この方以外には、だれによっても救いはない」(使4:12)方を拒んだ必然の結果です。彼らは、「あなたはだれですか」と改めて問います。主はご自身について繰り返し証言されたのに、彼らはそれを拒んで問い続けました。聞こうとせず、認めようとしないなら、いつまでも信じることができません。「神のみころを行なおうとすれば」分かるのに、彼らは自己中心を決して捨てようとしませんでした。そうであってはならなりません。
《あなたがたが、わたしを上げてしまうと、わたしが何であるかを知るようになる(28-30)》
父のもとから遣わされた救い主である、決定的証拠「十字架と復活」が示されようとしていました。「あなたがたが人の子を上げてしまう」それはイザヤ書53:6の成就、バプテスマのヨハネが「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」とあかしした預言の成就(1:29)、そして主ご自身の受難と死についての預言の成就(マタイ16:21)です。「イエスがこれらのことを話しておられると、多くの者がイエスを信じた」(30)とあります。実現した後でないと理解できない事がほとんどだったでしょう。しかしイエス様が神から遣わされ、この方の語られたことばは真理であると信じたのです。みことばに耳を傾け、主と主の約束に信頼して委ねましょう。