2017年1月1日・・・みことばの乳を慕い求めなさい
ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
第一ペテロ2:1-2(1-10)
新年を迎えるに当たり、改めてみことばに立つ歩みを確かにしましょう。私たちが新しく生まれたのは、御言葉によってです。
《純粋なみことばの乳を慕い求めなさい(1-2)》
まず、みことばに対する、「悪意、ごまかし、偽善やねたみ、悪口を捨てなさい」と命じます。みことばに向けられた最初の悪意(創3:1)は、神のことばを疑わせるサタンの悪意でした。この誘惑に勝利しましょう。「みことばは真理です」(ヨハ17:17)と主が宣言されました。みことばが罪をきよめ、罪から私たちを守ってくれます。神のみこころを行なわせ下さいと願ってみことばを読む時、私たちは聖書が生きて働くのを知ります。また乳飲み子は、乳だけを求め、乳のみで栄養を満たします。同様に、聖書だけを求めればいいのです。他の書物にも有益なものがありますが、聖書だけが神のみことばであることを忘れないでほしいのです。みことばを慕い求めるなら、成長し救いを完成する。これが主の約束です。まだの方はぜひ、聖書通読を始めましょう。
《生ける石として教会に築かれなさい(3-5)》
「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです」(3)と使徒は告げます。信じた時から、主の慈しみを味わっているはずです。不思議な平安や喜び、希望が与えられます。また主の「いつくしみ」は感情だけではありません。主のいつくしみの熱心は、私たちを救いの完成へと導くのです。罪に対して敏感になる事、教会の交わりや聖書のみことばが慕わしくなる事、いつの間にか変えられている自分に気付くはずです。イエス様は、ご自身のもとに「来なさい」(4)、霊の家(教会)に築き上げられなさい(5)と招いておられます。信仰の告白、それに基いたバプテスマ、神のために自分をささげて生きる献身は、主の命令です。これらは主の祝福に満たされ「キリストの満ち満ちた身たけに達するため」(エペ4:13)の恵みの道です。
《教会に築かれてこそ、宣教のわざを推進できます(6-10)》
キリストは、その上に築かれる者にとってどんなに祝福でしょうか。主は信頼する者を、決して失望させません(6)。みことばに従わない者にとって、キリストは「つまずきの石、妨げの岩」でしょう。しかし、信仰によって救われた者は、預言者・祭司・王であるキリストにつながり、キリストと共に神の国を治める者とされました(9)。それは、やみから神の光の中に招き入れて下さったキリストの救いのみわざを、全世界に宣べ伝えるためです(10)。福音宣教は、神の御計画の全体を伝える事です(使20:27)。神の救いの御計画の全体を伝えるためにはそれを知り体験する必要があります。聖書を知り、聖書に生きる事が、すべての主の働きにつながるのです(2テモ3:16-17)。