2017年1月8日・・・わたしのことばを守るなら、死を見ることがない
まことに、まことに、あなたがたに告げます。だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません。ヨハネ8:51(47-59)イエス様を拒み続けるユダヤ人に、「あなたがたは、わたしに罪がない事を認めているはずです。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか」と問われました。私たちはこのことばにどう答えるでしょうか。
《わたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがない(47-51)》
ご自身のことばに聞き従うかどうかで、「神から出たもの」であるかがはっきりすると主が言われると(47)、ユダヤ人たちは、悪魔に支配されているのはあなたの方だと反発します。私たちを救うために来られた神の御子に、なんとひどい侮辱でしょう。そんな彼らに主はなおも救いの約束を告げられました(51)。イエス様こそ、罪と死の解決を下さる唯一のお方です。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです」(5:24)。《わたしに栄光を与える方は、(神である)わたしの父です(52-55)。》
ユダヤ人たちは、祖先アブラハムが信じた「永遠のいのち」の約束を信じていました。しかしそれに与るのは律法の行ないによると考え、自分たちこそ得る資格があると誇っていました。あなたは何の権威をもって『だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を味わうことがない。』と言えるのか、と彼らは抗議しました。イエス様は、天の父から命じられ、成しておられるだけです。主は彼らに告げます、「あなたがたが人たちの神とあがめている主なる神は、わたしの父であり、この方がわたしに栄光を与えるのです」と。確かに事実でした。父の命令に従い、ご自身のいのちを十字架で死に渡される主を父はよみがえらせ栄光を与えられます。またイエス様は、あなたがたはこの方を知っていない(55)と指摘します。だれも、御子を信じなければ神を知ることはできません。御子を信じない者は罪の闇の中にいます。しかし御子は御父を知っておられました。《アブラハムが生まれる前から、「わたしはいる」のです(56-59》
イエス様こそ、アブラハムが待ち望んだ、すべての国民に祝福をもたらす約束の子孫(創26:4)でした。アブラハムが生まれる前だけでなく、主イエス様は永遠に存在される御子です。私たちは、御子の本当の偉大さを知っているでしょうか(コロ1:15)。「わたしはいる」:それは、主がモーセに示した主の名「わたしはある」と同じことばです(出3:14、ヨハ18:6)。イエス様は主なる神であるからこそ、すべての人をさばき、救う権威を持っておられるのです。ユダヤ人たちは、それでも信じる事を拒み、石をイエス様に投げつけようとします。主は、ご自身を殺そうとする彼らを滅ぼされませんでした。彼らの手を逃れ、彼らをも救うために、もうすぐ十字架に向かわれます。イエス様に中立の立場を取ることは不可能です。神でないのに自分を神とする、冒涜者・偽り者であるか、その通り主であり救い主であるか、です。優れた預言者・教師というイエス様像は、聖書のあかしするイエス・キリストではありません。主の前に信じて進み出、みことばの約束に留まりましょう。