2017年2月26日・・・この病気は神の栄光のため
イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」ヨハネ11:4(1-16)
この章にはヨハネ伝が伝える七番目のしるし(証拠としての奇蹟)が詳しく記されています。イエス様は、死んで四日・・・も経ってたラザロをよみがえらせました。この箇所は、イエス様がラザロたち三人のいたベタニヤに向けて出発するまでの、イエス様の言動を証しします。
《主の愛しておられた者が重病にかかっていました(1-3)》
「そこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。『主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です』」(3)。マルタ、マリヤ、ラザロは、主と大変親しくしていた3兄弟でした(ルカ10:38-42)。姉マルタは、主を迎えて忙しく立ち働き、妹マリヤはイエス様の話を熱心に聞き、イエス様に感謝して香油を注ぎます(12:1-8)。そしてラザロは病気で死にかけていました。主は度々、病の人をいやされましたが、この時は遠くにおられたのです。主を愛し、主に愛されているものでも、苦難を経験する。すぐに助けが与えられる訳ではなく、苦難に留められる事があります。《この病気は神の栄光のためでした(4-7)》
主は、冒頭の聖句のように、この病気の意味を宣言されます(参:(ヨハ9:3)。死で終わるだけのものでない(死の暗示)、神の栄光のため、神の子がこれによって栄光を受けるためでした。聖書でここで、主は三人を「愛しておられた」と宣言しています。そして、三人を「愛しておられた」から、ラザロの病気の事を聞いても、すぐには出立しませんでした。二日・・・後に、主は「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われました。弟子たちは、ユダヤ人が石打ちにしようとしたばかりなのにと訴えます。しかし主は、「昼間歩けばつまずくことはない」と答えられました。恐れて出発を延ばしたのではなかったのです。主は神の時、神の導きを全く信頼しておられました。私たちも、主の照らしておられる光の内を歩むなら、危険にもわなにも、つまずく事はありません(16:33)。《主はラザロを死からよみがえらせるために行かれます(11-16)》
主は「ラザロを眠りから覚ましに行く」と言われます。弟子たちは、「眠っているなら(行かなくても)助かる」と反応しましたが、主はラザロの死のことを言われたのでした。その場に全員が居合わせなかったことは、主にとって喜ばしいことでした。それは、主のみわざが本物であることを確証するからです。水をぶどう酒に変えられた最初のしるし(2章)も、十字架の死と葬りと復活もそうです。そして今、危険の中イエス様は自ら赴いて、ラザロをご自身がよみがえらせる奇蹟を人々の前で成されます。主の決断を聞いて、トマスは、主と共に死のうと呼びかけます。主が弟子たちに求める覚悟の厳しさに、悲壮な思いになるかも知れません。確かに罪との戦いは私たちにとって深刻です。しかし主は世に勝利されました。主と共に死ぬ道は、いのちの道、幸いの道です。「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。』」(16:33)。