2017年3月5日・・・わたしはよみがえりです、いのちです
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。ヨハネ11:25(17-37)
イエス様は弟子達とともにラザロのいたベタニヤの村に到着しました。彼は葬られてい4日・・・も経っていました。イエス様をマルタとマリヤが迎えます。弟を失なった姉妹たちの信仰と、イエス様がかけられたことばを覚えましょう。
《復活を信じる信仰が慰めになっていませんでした(17-24)》
イエス様が到着されたと知ってマルタはすぐに迎えに出ました。マルタは主に訴えます、もしここにいたら、ラザロは死ななかったでしょうに、と。しかし彼女はなお、どんな願いでもイエス様が願えば聞いて下さると信じ告白しました。主は、「あなたの兄弟はよみがえります」と告げ、信じる者に与えられた終わりの日・・・の復活の約束を思い起こさせ、マルタはそれを知っていると答えます。たとえ病をいやされても、やがて全ての人は死ななくてはなりません。死に対する根本の解決は、終りの日によみがえって神と共にある永遠のいのちの約束です。しかしその信仰が、今のなぐさめとして実感できていなかったのです。
《主は、永遠のいのちの約束を実現する者であることを宣言されました(25-29)》
この宣言は、この時が初めてではありませんでした(5:24,6:40,44,47,10:28)。主は、改めてマルタにこの真理を伝え、彼女の信仰を確立し、死にたいする根本解決を揺るがないものとされたのです。神を信じる者の復活を実現されるのは、目の前のキリストでした。永遠のいのちの希望は、漠然とした希望、遠く離れた神からのものではありません。私たちの元に来られ、共に歩まれ、死を味わい、死に勝利されるイエス様です。主は、御自身を信じる者は、「死んでも生きる」「決して死ぬことはない」と確約されました。そして「このことを信じますか」と明確に信仰の告白を求められました。彼女はこの方を信じる事で十分でした。もう不平はありません。主は悲しみの中にあるマリヤを呼ぶように、マルタに告げられました。死に対する解決を与えてくださるのは主イエス・キリストご自身です。
《マリヤの訴えに主は主の涙されました(30-37)》
マリヤも主に「ここにいてくれれば、兄弟は死ななかったのに」と訴え泣きました。彼女についてきたユダヤ人たちも涙を流すばかりで、そこには死への解決、永遠のいのちの希望は見られませんでした。主は「霊の憤り」「心の動揺」を感じられます。それは人々を支配し絶望させている罪と悪魔への怒りでした。今こそ人々に、御自身が死に解決を与えることを証明すべき時と自覚し、「彼をどこに置きましたか」と問います。ラザロの葬られた墓の前で主は「涙を流され」ました。主は私たちと共に苦しみ、私たちと共に涙してくださる方です(ヘブル2:17,4:15)。主の憤りと涙は私たちの救いです。人々は主の涙を見て力の限界と思いましたが違いました。主は私たちに深く同情してくださると同時に、全能の力と堅い意志で、私たちを救ってくださいます。これから主がなされる奇蹟は、主の権威が本物であることの証明でした。