2017年3月12日・・・ラザロをよみがえらせる主
そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
ヨハネ11:43-44(36-44)
この箇所は、イエス様がラザロをよみがえらせるみわざを記しています。主がこの奇蹟を通して示された事を心に刻みましょう。
《主を信じるなら神の栄光を見ます(37-40)》
イエス様の涙に、人々は主の愛と同情を見ました(36、イザ53:4)。一方で「盲人の目をあけたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか」(37)と、ある者たちは、主の深いお考えを、無力だと考えました。しかし、イエス様は、主は不信で迎えられても、ご自身の愛と力のみわざを止めませんでした。主は、「墓の石を取りのけなさい」、「主よ。もう砕くなっておりましょう・・・」、「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか」。主は、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです」(4)とあらかじめ告げておられました。神の栄光は、信じる者にとって輝かしい救いです。主は、無意味に私たちに命じているのではありません。私たちに喜びを与えるために、主は考え、実行されるのです。主に信頼しましょう。
《人々が信じる事ができるように、声に出して祈られました(41-42)》
彼らは、主のことばに従って、石を取りのけました。彼らはこれから主がなさろうとする事を知りませんでしたし、期待していませんでした。主は、彼らにできる事を命じられました。それは、私たちが主のみわざの素晴らしさに預かるためでした(参:ルカ5:5)。全部は信じられなくとも、主のことばに従いましょう。それが信仰の入口です。主は、彼らは信じる事ができるように、父に祈られました。主は、神を「父よ」と呼ばれました。「わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します」と主は、神がご自身の願いを聞かれる事を証明されます。主が公に父に願われた祈りの通りになるかどうかで、この方が本当に救い主神の御子であるかが証明されます。もし嘘なら神はその願いを拒まれるはずです。
《主の願われた通りにラザロはよみがえりました(43-44)》
主は大声で「ラザロよ。出て来なさい。」と命じます。すると、死んでいたラザロが、よみがえって出てきました。主は今しがたまで遠くにおられ、人々に伴なわれて初めて墓に来て、声をかけられただけです。主のことばによって、病いがいやされ悪霊が追い出されるばかりか、死者がよみがえりました。主が告げられればすべてのものが命じられた通りになります。このお方は、世界を創造され、すべてのものにいのちを与えた権威を持っておられます。創造の初めからです。主はこの後に、ご自身が救い主であることを示す、さらに決定的な証拠を示されました。神は、人々が拒んで十字架にかけたイエス様をあらかじめ約束された通りに三日・・・目によみがえらせました。イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。・・・このことを信じますか」(25-26)。