2017年3月19日・・・キリストへの危機感と陰謀
ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。ヨハネ11:51-52(45-57)イエス様は、御自身のみことばの権威によって、葬られて四日・・・もたっていたラザロをよみがえらせました。この間違いない奇蹟は、支配者たちに大きな波紋を及ぼしてゆきました。
《多くのユダヤ人までもがイエスを信じました(45-46)》
イエス様に敵意と不信を向けていた彼らでさえ、死者をよみがえらせる奇蹟を目の当たりにして、信じざるを得ません。この出来事をエルサレムにいたパリサイ人達に報告しました。イエス様の復活のみわざと、それによってイエスを「神が承認された者」である事が証明された事実を、否定することはできません。民衆にイエスを信じないように強制する事は不可能でした。キリストのなされた奇蹟、さらにキリストの十字架と復活は、事実です。主は私たちを救おうとして語り、実行され、私たちが救いの祝福をそこなう事のないため、私たちを戒めました。私たちは、主の教えられた事、主のなさった事、そして主が命じられ警告された事実から、目をそむけてはなりません。《指導者たちはイエス様を殺すしかないと考えました(47-50)》
「放っておくと、すべての人があの人を信じるようになる」、、、主は、世においては富も地位もありませんでした。しかしただそのことばと行ないは神の権威を持っていました。だれも信じるのを止められません。もしイエス様が、民衆の不満を利用して反乱を起こしたら、国土はすべてローマに破壊され奪われてしまうと、彼らは恐れました。大祭司カヤパは、「国が助かるのなら、一人のいのちの犠牲にした方がいい」と提案します。支配者達は無理・不法を承知で、あらゆる手段をとってイエス様を捕らえ殺そうとしてゆきます。《彼らのイエス殺害の陰謀も、主が導かれた事でした(51-59)》
記者は、なぜ彼らが罪のない主を殺そうとしたか、そのもう一つの理由を記しています。ここに記されている理由は、人間の思惑の背後で働いていた、神の御計画でした(51-52)。カヤパが語ったのは、神に動かされてでした。彼らがイエス様の殺害を企てる以前から、イエス様は、弟子たちに御自身が捕らえられて殺される事をくり返し教えておられました(ヨハ10:15、マタ16:21)。彼らは意識しないまま、イエス様の預言を成就させていきます(10:16-18)。イエス様は、ご自分をじゃまに思う支配者の陰謀によって死なれたのではなく、人類に罪の救いをもたらすために、父の命令に従い、自ら死なれたのです。これは遥か昔からの神の御計画でした(イザ53:4-10)。主は、私たちが悪や怠惰、不真実を働いても、それを益として用いて下さいます。「反面教師」としても用いて栄光をあらわして下さる、それはそれで感謝な事です。しかしそれは、主を悲しませ怒らせ、共に喜ぶ栄光にあずかれないようにされる事です。主は、だれよりも愛と忍耐と赦しの神でありますがが、同時に、威厳にあふれた恐しいお方です(ロマ3:7-8)。