2017年3月26日・・・マリヤの香油注ぎ
マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。ヨハネ12:3(1-8)
十字架につけられる過越の祭り二日・・・前(マタイ26:2)、ベタニヤで人々はイエス様のために晩餐を開きました。主がよみがえらせラザロが着座、マルタは給仕していました。そしてマリヤはイエス様に香油を注ぎます。
《マリヤはイエス様にあふれる香油を注ぎました(1-3)》
高価な香油は、相手への愛と感謝の印で、少し塗ってあげるのが客人へのもてなしでした。しかし彼女は高価な香油を惜しげなくイエス様に献げます。300デナリ(300日・・・分の労賃)で売れる香油を主に注いだので、家は香油の香りで一杯になりました。イエス様の数々の恵み、特に兄弟ラザロをよみがえらせてくださった事は、どんな財産にも代えられないものでした。主は彼女らに何も要求されませんでしたが、彼女は精一杯の感謝を表わしました。これが、イエス様の恵みを知った者の礼拝の心、恵みによって救われた聖徒の心です。イエス様は、感謝をもって自分のすべてを献げるにふさわしいお方です。
《ユダはもったいないと彼女を非難しました(4-6、参:マタイ26:8-9)》
これを見てイスカリオテのユダは、もったいないことをすると彼女を非難します。彼はすでにイエス様を裏切ろうとしていたのです。彼は貧しい人への施しに用いるべきだったと意見します。しかし彼がそう言ったのは、自分が横領しようとしていたからでした。彼は、弟子たちの会計係りでしたが(:6)、他の弟子たちのように貧しい人の事を顧みていたからではなく、そこから盗もうとしていたからそう言ったのでした。一見正当な主張も、その心がよこしまならば主に喜ばれません。「人はうわべを見るが、主は心を見る」(1サム16:7)。私たちは主をすべてをご存じの主に罪を示していただき、赦しときよめをいただきましょう。
《イエス様は、彼女を弁護し、その信仰を誉められます(7-8、参:マルコ14l:6-9)》
「マリヤはわたしの葬りの日・・・のために、それを取っておこうとしていたのです」(7)。「二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます」(マタイ26:2)と聞いた弟子たちが本気にしなかった中で、彼女は、主の死が近い事を、主のことばを聞いて受け止め行動しました。この日は水曜、翌木曜の深夜、主は捕えられます。金曜に十字架で死なれた主は、週の初めの日の朝、よみがえられました。十字架の後、油を注ごうとした女性たちは間に合いませんでした。「あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです」(8)。貧しい人たちへの奉仕は、いつも続けていなければならない事です。しかしこの時は、主がもう少しで十字架にかかられる時でした。今しかできない奉仕があります。だから私たちも絶えず主の御心を伺って従いましょう。