2017年4月23日・・・神の真実による朽ちない希望
神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。
(第二コリント1:20)
無限と思われていた資源の限界が見えてきた今日・・・、幸福を求めれば奪い合うしかないのでしょうか。弱い人は幸せになれないのでしょうか。今こそ、創造者であられる主の愛・恵み・祝福という無限の資源を再発見しましょう。
《主は、どんな状況でも希望にあふれさせて下さるお方です(2コリ1:3-20)》
パウロは、絶望的な状況の中で、あわれみがあふれていた事を証ししています。神は、どんなのような苦しみの時にも、私たちを慰めて下さいます。こうして私たちも、自分が神から受ける慰めによって、どのような「苦しみの中にいる人をも慰めることができる」のです。キリストを信じて救われた者には、キリストの苦難が溢れていると同時に、キリストの慰めも溢れているからです。パウロたちの苦難は、死を覚悟する程の激しいものでした。それは「自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるため」でした。イエス様の「決して捨てない、、、試練と共に慰めがあって守られる」との約束が、私たちに与えられています。
《神の恵み・賜物を「正しく評価」しましょう(マタイ25:14-23)》
救いと共に、主は私たちに豐かな賜物(=タラント)を下さいました。神は、多く与えらようとしておられます。1タラントは、金20kg、6000日・・・分の給与額です。イエス様は、主の恵みの力を過小評価することのないようにと、タラントのたとえを語られました。人には不可能なことをさせるために主は私たちを救われました。「できる、できない」は、自分の力でなく、「神の約束」によって測らなければなりません。2、5タラント与えられたしもべは信じて用いて増やす事ができ、主人に喜ばれもっと多く任せられます。1タラントあずかったしもべは、「神は無理を要求する」と賜物を地に埋め、主人を失望させ、取り上げられてしまいます。問題は能力の多少でなく、主人への態度と実践でした。次のみことばに、私たちはどう答えてるでしょうか。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)。
《失望しない鍵は、主と主の約束を「心から信じるか」です》
神に頼らず自分の知恵や能力に頼るから、失望してしまうのです。信仰を通して神のわざがあらわされる約束を信じましょう。「わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます」(ヨハネ14:12)。主の約束を信じようとせず、主と共になせばできるのに、「できないとつぶやいて働こうとしない」その考えや行動こそ「怠惰」です。神に頼らず、自分自身の考えに従って歩むなら、怠惰以上に不信仰になってしまいます。私たちは、自分の考えで、神の力を測ってはなりません。失望しない鍵は、「神の約束を心から信じているか?」です。「するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。』」(マルコ9:23)。主は私たちの信仰を増して下さいます。