2017年5月14日・・・主は世を救うために来られた
だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。ヨハネ12:47(44-50)イエス様は「大声で言われた」(44)とあります。この短い宣言には、ご自身を信じるように招かれる、十字架の前に語られた最後の招きでした。短い箇所に込められた、大切な教えを共に確かめましょう。
《イエス様は救いの光として来られました(:44-46)》
主を信じる者は、父なる神をも信じています。主を見る者は父なる神をも見ているのです(:44-46)。イエス様は繰り返し「わたしを信じなさい」と招かれました。見えない神について私たちはどのように信じたらよいか迷うかも知れません。しかし聖書を読むならイエス様がどんな方か分かります。この方を信じれば良いと聖書は招いています。また主を信じる者は、だれもやみの中にとどまらず光の内を歩みます(:47)。イエス様は、神から離れた「罪のやみ」から私たちを照らして救うために来られました。イエス様は、信じる者を、「神の光」の元に導き入れてくださるのです。《イエス様は、私たちを救うために来られました(:47-48)》
イエス様は、当時の指導者たちが神のことばを曲げてしまった事を明らかにし、神がどんなに高い基準を求めておられるかを教えられました。行ないによって義とされる者は一人もいません(ガラ2:16,3:10)。しかしイエス様はさばくためではなく、救うために来られました(3:17)。主がみことばの聖さを示されたのは、すべての人が罪を悔い改めてご自身を信じるため、信じて救われるためです(3:16)。同時に、御子を拒む者は終わりのさばきの日・・・には、同じ主のことばによってさばかれます。しかし唯一の救いの道を拒むなら、その人は自分の罪の中で死ななくてはなりません。ですから、すべての人は、イエス様を信じなければならないのです。