2017年6月4日・・・裏切るユダへの主の真実
わたしは、そのことが起こる前に、今あなたがたに話しておきます。そのことが起こったときに、わたしがその人であることをあなたがたが信じるためです。
ヨハネ13:19(18-30)
主が祈り選ばれた十二使徒の一人が、主を全く裏切ります。どうしてそうなったのでしょうか。難しい問題ですが、聖書が記している事をみてゆきましょう。
《弟子の裏切りが、預言の成就である事を主は告げられました(18-20)》
互いに足を洗い合うことを理解し行なう時、主はその者に祝福を約束されました(17)。しかしご自身が選ばれた十二弟子の中に、これを「知って行なう」祝福に当てはまらない者がいる事を主は知っておられました。寝食を共に歩んだ者がご自身に向けて「かかとを上げ」ることが、聖書の預言の成就であると主はあらかじめ告げられたのです。それは主の弟子を受け入れる者が主と主を遣わされた御父を受け入れ救われるためでした。裏切る弟子も、自分が主に「かかとを上げてしまう事で」つまずかないで、主に立ち返って信じるよう願っておられたのです。
《主は、だれが裏切るか知っておられる事を示されました(21-26)》
「イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります』」(21)。主はずっと前から、ユダがご自身を信じていない事をご存じでした。多くの弟子たちがイエス様が自分たちの望む政治的解放者でない事を知って、離れてゆきました。使徒たちはそれでも主に従っていましたが、「あなたがたのうちには信じない者がいます・・・そのうちのひとりは悪魔です」(6:64,70)と告げておられました。身に覚えのない他の弟子たちは当惑し、ペテロは、それがだれであるか主に示していただけるようヨハネに合図しました。主が「わたしがパン切れを浸して与える者です」と言ってパン切れを浸してユダに与えられました。彼は、主が自分を見抜いておられるのを知りましたが、罪を告白しませんでした。私たちは、主の前に「心をかたくなにしてはなりません」(ヘブ3:15)。
《主を心から信じる道の他はありません(27-30)》
「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい」(27)と言われた時、彼は、主に自分をゆだねるのでなく、サタンにゆだねてしまいました。主を拒む事は、敵であるサタンに自分を渡す事です。その夜彼は主のもと・仲間のもとから、去って行きました。何がいけなかったのでしょう。彼が主を拒み続けたためです。主は最後まで赦そうとしておられました。・・・追手を手引した時も彼に「友よ」と呼びかけられました(マタ26:50)。主が捕えられた後でも、悔い改めたならば赦されたはずです。しかし彼は罪を認めながら、主に赦しを求めず、自分で罪の重荷を負ったまま、自殺して立ち返る道を自ら断ち切ってしまいました。恵みの場が与えられても、それで救われるわけでないのです。たましいの安全を保証する道は、十字架と復活の主を信じ自分を主に委ねる信仰のみです(ヘブ4:12-16、ローマ10:9-11)。