2017年6月11日・・・新しい戒め。互いに愛し合いなさい。
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。ヨハネ13:34(31-38)13-16章に、記者ヨハネは、主が受難の前に教えられた長い教えを克明に思い返しながら、記しています。主は「互いに愛し合いなさい」を、「新しい戒め」として与えられました。
《これは、主が栄光を受けられた時に与えられた命令でした(31-32)》
「今こそ人の子は栄光を受けました」(31)と主は宣言されました。ユダが裏切るために出て行った時何が起こったのでしょう。それは「受難が始まった」ということです。いよいよキリストは、キリストは十字架に向けて出発されました。キリストの犠牲こそ神の栄光でした。それは、神の愛と力(救いのために最大の犠牲と苦しみをも忍ぶ)の極みです。父は、ご自身の大切な御子を、私たちに与える事を通して、ご自身の素晴らしさを現わされました。神の素晴らしさは、たぐいない愛によって示されました。御子も、父の命令に全き献身をもって従う事によって、父と私たちへの愛を証しされました。ここの教えに繰り返し出てくる「栄光」とは、隠れていたすばらしさが証明され、喜び・賞賛・感謝がささげられることです。私たちは、主の愛のみわざに、神をほめたたえます。《主が愛して下さったように愛し合いなさいとの新しい命令でした(34-35)》
律法にあった隣人愛は、それでも守るのはむずかしいですが「当然求められる戒め」でした。虐げられた辛さを覚えているなら、隣人に辛く当たってはならない、自分を大切にするように相手も大切にしなければならない、というものでした。しかし主は、自分を愛するようにではなく、主が自分を愛してくださったようにと命じられました。律法の要求をはるかに超えた愛、律法を全うして余りあるものです(ロマ13:10)このように愛し合う事によって、弟子たちはキリストを証しします(35)。イエス様が地上に居られなくなっても、互いの愛が、主の弟子である事を世に示すのです。