2017年6月25日・・・わたしが道・真理・いのちなのです
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
ヨハネ14:6(1-12)
主はまもなく一人十字架に向かわれ復活されて40日・・・後天の父のもとに戻られます。主は弟子たちにこれからの別れを告げ、「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」(1)と言われました。どうして、動揺する事なく、信じて立ち続けることができるのでしょうか。共に確かめましょう。
《第一に、天の住いを用意してから迎えに来てくださるからです(2-3)》
主は天におられる父のもとに帰られます。それは主自ら私たちのために天の住いを用意するためでした。イエス様は大工の息子として生まれ働かれました。私たちと共に住み、人として枕するところもない経験をされたお方です。イエス様が先に行って、準備してくださるので、私たちは安心して迎えを待っていることが出来るのです。
《第二に、イエス様を通して、信じる者は御父の元に行くからです(4-6)》
主がどこで、どのように行くのか分からないとトマスは訴えました。しかし主は冒頭のみことばで答えられました。人が創造された目的は、「神の国に入れられ、神と共にあり、神の祝福に入れられること」です。イスラエルは、天の故郷を待ち望んでいましたが失望を繰り返していました。しかし約束の救い主イエス様が来られたので、この方を信じ、任せ従えば良いのです。今主は父の元に行かれ、信じる者は主を通って神の元に行くのです。主は、信じる者を失望させない「真理」であり、神のもとに行く「道」であり、主と共に生かして下さる「いのち」であられます。
《第三に、主によって神を見、知ることができるからです(7-11)》
イエス様を見、知ることは、父を見、知ることと等しいのです。イエス様を信じることは父を信じること、イエス様のみわざは父の業、イエス様のことばは父のことば、イエス様の意志は父のみこころ、イエス様の権威は父の権威、このイエス様を信じる事は父を信じる事です。イエス様のうちに父が、父のうちにイエス様がおられます。ですから私たちがイエス様のうちにいることは、父のうちにいることでもあるのです。イエス様は御言葉と証しを残され、聖霊を下されました。今も聖書によってイエス様を知り信じることが出来、それは神を知り信じることに他なりません。
《第四に、主を信じる者は更に大きな業を行なうからです(12)》
主は、十字架の贖い、復活の証明を成し遂げられました。そして天の座に就かれて、聖霊を送られます。聖霊は、私たちのために主を教えを理解させ、とりなし、力で満たします。そして、天に帰られる前命じられた宣教の命令が、聖霊の力に満たされた教会によって遂行され、主の救いが全世界に広がってゆきます。取るに足りない私たちが主に倣う者へと変えられ、さらに主が私たちを通して、御自身の救いのみわざを全世界に広げ完成されることは「さらに大きなわざ」です。