2017年7月9日・・・約束された、神とともに生きる恵み
いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。ヨハ14:19(13-24)
ここでイエス様は、ご自身が天に帰られる結果、どんな祝福がもたらされるかを、私たちに教えています。それは、今イエス様を信じて弟子になった私たちにも約束されている祝福でもあります。
《第一に、イエス様の名によって求めることは、何でも与えられます(13-14)》
「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです」(13)。イエス様は、まもなく十字架と復活によって、人類を罪から救うご自身の力を証明されます。そしてご自身の名によって父に求めるものをすべて与えると約束されました。主は、天に行かれても、いつも私たちの願いを聞いておられます。この方だけが、私たちの全ての祈りと願いを聞き、答えてくださる方です。。イエス様の名によって、必要をいつも神に求めて与えられ、神の御心を成し遂げることができるのです(マタ7:7、ヤコブ4:2)。
《第二に、助け主・聖霊が与えられ、いつも共におられます(16-20)》
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです」(16)。イエス様が天に行かれることは、弟子たちが、救い主を失うことではありませんでした。かえってもうひとりの助け主・聖霊がいつも共にいるためでした。ですから、主は、ご自身が去ることは「益」だと教えられました。父なる神・御子キリスト・聖霊なる神は、永遠に一つであられます。聖霊が共におられる事は、御父と御子が共におられる事です。主は、地上において、いつも父と共に生き、歩んでおられるのを弟子たちは見ました。同じ事が、御子と弟子たちとの間に実現するのです。地上と天に離れていても、主はいつも弟子である私たちとともにおられます。
《第三に、イエス様のことばを守ることによって神の栄光を現します(15,21-24)》
弟子たちは、イエス様を愛する者とされました(参21:15-17)。今までは、目に見えるイエス様を愛していましたが、主が天に帰られ肉の目では見えなくなっても、聖徒は霊の目で主を見、喜びをもって愛し続けます。救いと同時に、聖霊によって神の愛が絶えず注がれているからです(ローマ5:5、1ペテ1:8-9)。そして主を愛する者は、主の戒めを守ります。これがイエス様の弟子となった者のしるしです。主の戒めは「主を愛し互いに愛し合う」こと、それは「主のみことばを学び実践する」事に他なりません。「神を愛する事は、神の命令を守ること」だからです(1ヨハ5:2-3)。宣教、教会建設と成長を私たちが目指すのは、主が私たちを愛し、神の栄光を現わすためにそれを命じられたからです。ただ命じられたからではなく、自分もいただいた祝福を他の人も受け、また共に完成したいと願うからです。主のみことばを守る時、主は、ご自身のすばらしさを現わして下さいます。みことばは神の真理、知恵、力です。