2017年7月16日・・・主の下さる平安の約束
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。ヨハネ14:26(25-31)
この箇所は、十字架に向かわれる前の教えの前半部分の結びです。洗足、愛の命令、主の名による祈り、助け主の聖霊で、、、素晴らしい教えを一時に聞かされても、弟子たちはそれを理解できませんでした。しかし弱い弟子たちを励ます、素晴らしい約束がここに与えられています。
《御聖霊が共におられみことばを理解させ、思い起こさせてくださいます(25-26)》
今告げた教えを彼らは悟れず、さらに教えるべきことが沢山ありました。十字架と復活の意味またクリスチャン生活や教会建設について十字架と復活が実現しなければ教えられませんでした。しかしやがて来られる聖霊が彼らを教えます。聖霊が与えられていることによって、聖徒はいつも必要な時にイエス様の教えを思い起こすことができます。また聖霊は主の教えを悟りあかしさせて下さいます。聖霊が助けてくださるので、使徒たちは大胆にみことばを証しします。聖書自体、そして使徒たちによって前進した教会の歴史が、その証拠です。聖徒達は、主が昇天された後も、主の教えに留まり、御言葉を全世界に伝えることができました。
《主は朽ちない平安を残されます(27-28)》
「わたしは、あなたがたに平安を残します。・・・あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(:27)。主は、自身の平安を与えると約束されました。世は物や力によって自分を守り平安を築こうとしますが、人の力による平安は挫折します。しかし主の下さる平安は尽きません。主イエス様は、十字架によって神との平和を与えてくださいました(コロ1:20)。どんな事があっても私たちを見捨てず守られます、そして天にあるすべての祝福を持って祝してくださいます。聖霊を遣わしていつも共におられ、やがて来られて天国に迎えて下さいます。これが、イエス様を信じて救われた者への主の約束です。ですから、弟子たちは、主が天に帰られても喜びに満たされました。
《十字架と復活こそが、クリスチャンの原点・出発点です(29-31)》
主はこれ以上話すことはされないといわれました。自身の使命である十字架の贖いを成す時が迫っていました。十字架において、イエス様はこの世を支配する悪魔に勝利されます。罪の誘惑、そして最大の武器である「死」にも、イエス様は打ち勝たれました。復活は勝利の証拠です。聖書の預言したこれらの恵みをもたらすために、イエス様は私たちの身代わりに十字架で死なれ、三日・・・目によみがえられました。十字架と復活こそ、クリスチャンの出発点です。「立ちなさい。さあ、ここから行くのです」(31)。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです」(使徒4:12)。イエスを信じた者は、これらの約束を聖霊によって悟り、思い起こし、イエス様の恵みの中にいるのでいつも平安です。