2017年7月30日・・・わたしの愛の中にとどまりなさい
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。ヨハネ15:9(9-17)前の箇所で、イエス様は弟子たちにぶどうの木のたとえを通してご自身にとどまるよう命じました。それはご自身にとどまってこそ、実を結び、神の栄光をあらわせるからです。では、主にとどまるには、どうしたら良いのでしょうか。
《第一に、キリストに留まるとは、キリストの愛の中にとどまる事です(9,16)》
父の御子への愛という、これ以上大きくて完全な愛はない愛で、御子は私たちを愛して下さいました。御子にして下さったように、御子は私たちを愛して下さいました。いのちを分けて新生させて下さいます。ご自身のすべてを示して下さいます。ご自身の全能の力と権威を委ねて下さいます。そして決して捨てる事はありません。この完全な愛の中にとどまりなさいと主は命じられました。また主は私たちを選ばれました。私たちの弱さを承知の上で選び、ご自身の尊い働きに任名して下さいました。必ず実を結びその実が残ること、またそのために求めるものを全て与えると約束されました(16)。この神の愛と選びをいただいた確信は、イエス様を求め信じて救われる事により、そして救いの完成を目ざす事によって確実にもたらされます。十字架と復活は、この約束が真実である証拠です(3:16、ロマ10:10-12)。《第二に、「互いに愛し合いなさい」との主の戒めを守ることです(10,12,17)》
主の愛にとどまる道は、イエス様の戒めを守ることです。主が御父の命令を行なって父の愛にとどまったのと同じです(10)。御子は、父のみこころ以外はなさらず、父のみこころは何でも実行されました(4:34,6:38)。私たちは、主のみこころを行なおうとするなら、主がそれを行なわせて下さるのです(1ヨハ5:14、ピリ4:13)。そのイエス様の戒めは、御父と御子が愛し合うように、互いに愛し合う事です。イエス様に愛されている事を知った者は、イエス様を愛するようになり、さらにその人はイエス様が愛しておられる兄姉をも愛するよう命じられました。それは愛された者にとって自然な事でもあり、重荷とはなりません(1ヨハ5:1-3)。こうして主を喜ばせる事は、聖徒の喜びです。《第三に、主の友となり主の愛と喜びに満たされて実を結びます(13-15,11)》
イエス様は、私たちを友として、私たちのためにいのちを捨てて下さいました。これよりも大きな愛はありません(13)。そして「互いに愛し合いなさい」との命令を行なうことで、イエス様は私たちを「友」としてくださいます(14)。そして友としての信頼と親しさを実際に経験し、イエス様を友情を喜び合うことができるようになります。隠し事のない、親しい係わりに入れられ(15)、主と喜び合い、主の満ち満ちた喜びが、私たちにもいっぱいに広がるのです(11)。こうしてイエス様の「愛」と「喜び」が私たちに満たされます。そして残りの御霊の実「平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」もイエス様の満ち満ちた豊かさによって、私たちの内に満ちてゆくのです。またイエス様と共にくびきを負って労する働きは、平安と喜びの中で継続されやがて豊かな実を結びます(マタ11:29、1コリ15:58)。