2017年8月6日・・・迫害はキリストのものとされた証し
もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。ヨハネ15:19(18-27)実を結ぶためにご自身に留まることが必要だと教えられた後に、主は、弟子たちが経験する迫害についてあらかじめ伝え、彼らが平安を保つことができるように、教えられました。ここに迫害の理由と、守りの約束が記されています。
《世が迫害するのは、弟子たちがキリストのものとされたからです(18-21)》
記者ヨハネは「世」を、罪を犯し神に逆らっている人間組織をさして使っています。神は、この世界を調和あるものとして造られました。しかし罪によってサタンの支配下に置かれてしまい、神の怒りの元にあります。弟子たちは、世のものでなく、キリストが世からご自身のもとに救い出した者たちです。神は罪を憎み、世は罪と同居しようとします。神は、御自身だけを神とするように求めますが、世の人々にとって、最終的には自分たちが神です。そのために、至高の愛と知恵、忍耐と謙遜をもって世を救うために来られたイエス様さえ、世は蔑み十字架にかけました。そしてキリストの弟子とされた者たちをも世は憎むのです。《世の迫害は、理由なしに神を拒む罪のためです(22-25)》
知らなかった、また知る事ができない状態だった場合、主は配慮して寛大に扱かって下さいます(1テモ1:13)。しかし主が知らされたのに、知ることを拒むなら、「知らなかったから」との弁解は許されません(3:19-20,12:37-40)。主イエス様は、すべての人に神のみ業と教えを証しされました。行われた数々の奇蹟が、この方が神から遣わされたものであることを証明しました。それでもなお信じないのは、彼らの信じようとしないかたくなな罪のゆえでした。正に「理由なしの敵意」であり、預言の成就です(25,詩69:4)。彼らは、自分達が、知っていた戒めを、違反と知りながら破りました(マタ27:25)。いわれない迫害は、罪による不当な敵意があるからです。予想外の事ではありません。《聖霊が共にあって、困難に耐え主を証しし続けることができます(:26-27)》
迫害する世に対して、私たちはどう応じたら良いでしょうか。主は、聖霊がご自身を証しして下さると約束されました。聖霊がいつも共におられ、イエス様のみことばを思い起こさせます(14:16,26)。イエス様は、みことばによって、悪魔に打ち勝たれ、みことばにしたがって、罪と死に勝利されました。主は「あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです」(27)と告げられました。主は、「世界の基の置かれる前」(エペ1:4)から私たちを選んでおられました。証人に必要な資格は、主の救いをいただき、従っていることです。主の救いと証しの命令に確信を置き、喜びをもって大胆にあかししましょう。「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。」(1ペテ4:12-23)