2017年9月3日・・・確立していたキリストの勝利
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。ヨハネ16:33(25-33)
イエス様は、十字架の前の弟子たちへの最後の教えをこの箇所で閉じ、大祭司としての祈りをささげて、ゲッセマネに向かわれます。教えの最後に、主が語られた教えと約束を心に刻みましょう。
《弟子たちは、イエス様が神の御子であると確信しました(25-30)》
受難を前にして主は、神の国について「たとえでなく話す時が来る、その日・・・には弟子たちが主の名によって父に求めていただくようになる」、それは主を愛し主を信じた彼らを、父なる神が愛しておられるからだと教えられました。また主はご自身が父のもとに帰ると宣言されました。
弟子たちは、主が一切の事を知っておられる事、理解できない事があっても、この方を信頼して従えば良い事を知りました。彼らは「私たちはあなたが神から来られたことを信じます」と告白しました。これからのイエス様の救い主としての働きを信じて期待したのです。
《主は、弟子たちの人間的自負を砕きます(29-32)》
弟子たちの信仰の告白を受けた時、主は「あなたがたは今、信じているのですか」と問い返されました。主は、彼らが信じると告げながらなお、ご自身の受難・死・復活を、また、自分の十字架を負って従う弟子の道を受け止めていない事をご存じでした。これまで従い抜いた弟子たちは、自分の力で神を知り信じ、正しく行動できると自負していました。しかし彼らはまだ、救いに不可欠な「十字架の愛、復活のいのちの力」を知りませんでした。自分の力や努力によって救われる(義とされる)者はひとりもいません(ガラ2:16)。主は、彼らがご自身を見捨てて逃げ出す時が来ていると告げられました(32)。弟子たちは否定しますが、主の予告の通りになります(マタイ26:30-75)。
《主は、十字架の前から勝利しておられたと証しされました(32-33)》
「しかし、わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです」(32)。主は、ご自身だけで、御父と共に、罪の贖いのみわざを成し遂げられます。救いは、神の一方的な恵みのわざです。人の犠牲や努力は、救いに何一つ貢献できません(エペ2:8)。聖書の預言の通りに、人々はこの方を拒んで十字架に掛け、弟子たちは主を見捨てて逃げました。弟子たちは主が告げられた通り患難に会いますが、平安の内に守られてゆきます。困難を通して自分の無力を知り、主にだけ依り頼む事を学びます。主は真実で全能のお方であるので、主に信頼する者は、どんな時にも、恐れる事はありません。世界を創造される前から、救いの預言がされる前から、地上に来られた時から、公生涯の初めに悪魔の誘惑に勝利した時から、主はすでに勝利しておられました。神に逆う世に負けず、神の祝福を全うする事こそ勝利です。主にある者は、勝利の主に結びついて常に勝利の内に守られます(ローマ8:30-37)。