2017年9月10日・・・御父の栄光を求める主の祈り
イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。
ヨハネ17:1(1-5)
最後の教えの後、主は神と人との間に立つ大祭司として祈られました。今朝はまず初めの部分を見ましょう。そこには、私たちの唯一の救い主・仲保者であるイエス・キリストがどんなお方が証しされています。
《主イエス様は、栄光ある神のひとり子である神です(1-2)》
主イエス様は、御父の栄光を表わすために、ご自分の栄光を現わして下さい、と祈られました。「何の前提なしに」神を父と呼ばれるお方でした(ヨハネ1章、エペソ1章、コロサイ1章)。人は自分の栄光を神に帰すべき被造物です。しかし主イエス様は、神として自身の栄光を持っておられご自身の栄光を現わすにふさわしいお方です(1:14)。救いをもたらすために父からすべての人を支配する権威を委ねられたお方です(19:10)。主が栄光と権威を与えられたのは、ご自身を私たちの救いのためにささげる愛と謙遜と従順の故でした(ピリ2:6-9)。私たちは、このすばらしい主を賛美します。
《主イエス様は、ご自身を知る者に永遠のいのちを与える救い主です(3)》
永遠のいのちが「神と神の遣わされたご自身を知ること」であるとイエス様は祈られました。聖書の「知る」は、知識に留まらず「全人格的な結び付き」、「知性」で理解し、「感情」で慕い喜び、「意志」で愛し従うことです。そのように神を知り「ぶどうの木と枝のように」永遠に結び付いて生き実を結ぶ事が「永遠のいのち」です。罪によって損なわれた神の祝福の御計画を、再興し完成することがキリストの救いです。永遠のいのちは、キリストを知り、信じる信仰によってもたらされます(3:16)。キリストのものとされた聖徒は、自分の頂いた救いが、特権であるだけでなく、日・・・々体験し成長していく恵みの営みである事を覚え、さらにキリストを知ることができるように励むのです(ピリ3:10-12)。
《主は贖いの使命を果たし終えて天に戻られます(4-5)》
イエス様は、父が与えられた業を行われ栄光を現わしたと証しされました。しかし前の箇所にあるように、多くの弟子が離れて、12弟子の一人さえ裏切って去りました。間もなくご自身は、捕らえられ辱められ十字架で殺されようとしていました。世の目からみたら全く惨めな敗北です。しかし人々がどう見ようとその道がどんなに苦しいものであっても、「父の御心に従う事」が主が地上で栄光を現す働きでした。神は、私たちを愛し救うために「ご自身の幸いな在り方を犠牲にして」くださいました(ピリ2:6-8)。そして三日・・・目に死からよみがえらて、ご自身の犠牲が罪からの救いのためである事を証明し、永遠のいのちを与える救い主である事を証明されました。よみがえられた主は天に帰られ、ご聖霊によってご自身の恵みをもたらし、天で私たちのために今も父にとりなして下さっています。イザヤ53:11-12の預言の通りです。イエス様は、神の御子であり、私たちを救ってくださる唯一の救い主です(2テモテ2:5)。