2017年9月17日・・・わたしは背負って、救い出そう
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。イザヤ46:4(1-13)
今の時代の土台を築いて下さった人生の先輩方に、また私たちの教会の初期からその土台となって今の祝福まで仕えて来られた信仰の先輩方に、主にあって感謝します。節目の時に、このみことばに耳を傾けましょう。
《主は私たちを背負って下さる神です(1-4)》
不信仰の故にイスラエルの国はバビロニヤにより滅ぼされますが、主は、まだ産まれていなかった後のペルシャ王「クロス」の名を呼んで、彼がバビロニヤを滅ぼしイスラエルを約束の地に戻すと宣言します。この預言が歴史の中で実現しました。バビロニヤが拝んでいた神「ベルやネボ」は、民を救うことができず、自ら移動することすらできません。今日・・・拝まれている神は何でしょうか。武力は重荷になり(マタ26:52)。富を追求する者は、まことのいのちを損じます(ルカ12:20)。しかし、世界と私たちを創造された私たちの神主は、私たちを気遣い背負って下さいます。主は「胎内にいる時から担って」来られました。大人になり歳を取ってもなお守り支え導いておられます。愛の神は、人生を通し、さらには死に至るまで私たちの面倒を見る、辛抱強い神です。
《主の他に神はない事を思い起こして主に立ち返れ(5-12)》
イスラエルは主なる神と異教の神々の間で、揺れ動いていました。預言者はここで、神が唯一の君主であられると断言します。人の作った最高のものでも人を救う事はできません。作った本人も分かっているように、あくまで人間の作品です。それもって励まされて人間ががんばる事はできますが、人の最高の英知・力は限られています。主が世界を創造されました(創1:1、イザ43:7)。主がすべてを支配しておられ(ロマ11:36)、すべての事をご自身の約束の通りに成し遂げられます(10)。しかしイスラエルは主のことばを拒み、主のご計画を拒み逆らい続けました。その結果、一時の繁栄と快楽をもたらしましたが、その終りは、主が告げられた通りに苦難とわざわいでした。だれでも必ず迎えなければならない死を前にして、何が残るでしょうか。あなたのいのちは、主のもとにあるでしょうか。いのちは主に守ってもらわなければ、他の何ものも保つことはできません(マタ6:20)。
《主の勝利と救いは、遅れる事はない。主を待ち望め(13)》
神の救いは、今、すぐそばにあります。そのために救い主イエス様は来られました。主を信じて救われる事は「天国を近付ける事」です。主イエス様は宣言されました・・・「きょう、救いがこの家に来ました」(ルカ19:9)、「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」(マル10:52)と。神の国はまだ完成してはいませんが、すでに私たちの心や周囲に、そして教会に来ています。主の平安(マタ11:28)、朽ちないいのち(2コリ4:16)、尽きない力(イザ40:30-31)、守り(1ペテ1:5)、祈りが聞かれています(ヨハ15:16)。主は共にくびきを負って歩んで下さり、倒れた時には私たちを担って天国のゴールまで運んで下さいます。主は決してあなたを捨てません。