2017年10月15日・・・あなたの必要を知っている神
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。ルカ19:10(1-10)「人の子」とは、神の位を捨てて人の姿となり、この罪深い世にきてくださった神の御子イエス・キリストのことです。人となられた目的は、「失われた人」=「罪によって神を見失った人」を捜して救うためです。迷子になった幼児のように、いったん神を見失った人類は、自力では神の所に戻れません。そんな人間の姿がたくさん記されている聖書から、今回は特にその中の一人、ザアカイに注目してみたいと思います。
「彼は取税人のかしらで、金持ちであった」と聞くと、恵まれた人のように思えますが、取税人というのは嫌われ者でした。さらにザアカイには「背が低かった」というコンプレックスがありました。いつも人々から見下ろされるザアカイは、人の上に立ちたいと努力して、取税人のかしらにまでなったのです。彼にとって人生の成功とは、人に認められることであり、彼を救ってくれる「神」は、この世の力である「金と権力」でした。
ところがザアカイが、自分の町に来られたイエスを見ようとする様子には、家族や仲間といった存在は全く見えません。逆に、誰にも場所を開けてもらえない孤独がうかがえます。金と権力というこの世の「神」は、彼を幸せにすることは出来ませんでした。そんなザアカイが、わざわざイエスを見に出かけたのに、いちじく桑の下を通り過ぎようとしているイエスに声もかけず、ただ見下ろしていたということは、彼にはイエスに何かをしてもらいたいという気持ちはなかったようです。この彼の姿こそ、「神を見失った人」そのものです。
ところがその時、イエスが急に立ち止まって、木の上のザアカイに声をかけられました。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」このイエスの言葉は、ザアカイに3つの驚きを与えました。
第1に、自分とは縁のない方だと思って眺めていたザアカイに、イエスはご自分の方から、しかも親しみを込めて近寄られたことです。第2に、ザアカイはそれまで一度もイエスに会ったことがありませんでしたが、イエスは彼の名前を(彼の現状も)知っておられたことです。第3に、「あなたの家に泊まることにしてあるから。」と、人々の非難を気にもせず、堂々と言われたことです。
イエスがエリコの町に来られたのは、まさにザアカイに会うことが目的だったのです。失われた人を探して声をかけ、ご自身との関係を築くようにと招かれるのです。そのイエスの招きに応えたザアカイの人生は、自分のために生きる虚しい人生から、人のために生きる満たされた人生へと変わってしまったのです。
イエスは今も、聖書を通して私たちに語りかけています。イエスはザアカイに言われました、「きょう、救いがこの家に来ました」と。あなたも「きょう」、救いに招かれているのです。どうかイエスの招きに素直に応えて、救いを受け取ってください。(大原徹雄師記)