2017年10月22日・・・大祭司のもとでの尋問、ペテロの否認
イエスは彼に答えられた。「もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。」
ヨハネ18:23(12-27,マタ26:57-68)
救い主イエス様は、自ら捕えられました。そして大祭司アンナス、またカヤパのもとで裁判を受けられました。深夜から未明にかけてあわただしく開かれた裁判でした。その時に、主が明らかにされた事実を共に確かめましょう。
《ユダヤ人たちは訴える口実を何も見つけられませんでした(12-14,19-24)》
尋問するカヤパに対してイエス様は、行なったこと教えた事はみな人々の前で公然となした事なので、見聞きした人々に尋ねればよいと答えられました。公けの場所で何度挑戦しても、イエス様の罪を示せませんでした。捕えて裁判にかけ、尋問し、辱めても変わりません。罪のないお方が、私たち罪人のために死のうとしておられたのです。態度が悪いと役人はイエス様を打ちますが、主である方を認めずに捕え暴行する彼らの方が遥かに無礼でした。そこまで問われても彼らは主の誤ちの証拠を示せず、大祭司カヤパのもとに送ります。
《彼らは主の正しい証しを拒んで冒涜罪で死刑に定めました(マタイ26:57-68)》
カヤパのもとでの裁判についてヨハネ伝は割愛しています。マタイ伝によれば下記の通りです。未明にもかかわらず、律法学者、長老、全議会が招集されていました。彼らは主に対する偽証する者たちを募り、大ぜいが偽証して主を訴えましたが。証拠はつかめません。大祭司は、「なたは神の子キリストなのか」と問い、主は「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります」(同64節)と答えられました。彼らは、救いがかかっているこの真理の証しを「神への冒涜だ」と決めつけ、イエス様を死刑に定めてしまいました。事実は反対です。イエス様が神の子・救い主であるとの証しを拒む事は、神への最大の冒涜でした。主はこの罪をも贖うため十字架で死のうとしておられたのです。
《主の予告の通りに、ペテロは主を三度否んでしまいました(15-18,25-27)》
ペテロとヨハネは捕えられた主の後を追いました。大祭司の知り合いであったヨハネは「イエスといっしょに大祭司の中庭に入り」、門で立っていたペテロを導き入れました。その時、門番のはしためが「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね。」と言った時彼は「そんな者ではない」と答えます(17)。主がアンナスのところからカヤパのところに連行される時、彼は人々から「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」と問われ、「そんな者ではない」と否定しました(25)。三回目の否認は、ゲッセマネの園で彼が大祭司のしもべの耳を切り落したのを目撃したしもべの親類の追求に対してでした(26-27)。その時、主が告げておられた通りに鶏が鳴きます(13:38)。ペテロは、自分の思いや力で主の栄光を表わそうとして挫折してしまいました。しかし、主よりも自分の思いを優先して挫折する事は、絶望の道から希望の道に踏み出すための主の最善への導きです。