2017年11月5日・・・無実の罪で死刑に定められるキリスト
イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威も>ありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」ヨハネ19:11(1-16)この箇所は、ピラトのもとでの不当な裁判が結審し、罪のないイエス様が十字架に掛かられるまでの経緯をあかししています。
《ピラトはキリストに罪がないことを証明しようと努力しました(1-8)》
主が強盗や殺人を犯しておられない事は誰の目にも明らかでした。他に十字架刑になる理由は、反逆罪以外にありません。ユダヤ人は「この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります」(7)と訴え、ピラトを恐れさせました。彼は、主を鞭打にし、いばらの冠をかぶせ、紫色の着物を着せ、無抵抗な姿をユダヤ人に示しました。こうしてローマ帝国が死刑にすべき何の罪もないこと示したのです。しかし彼らは、ローマに反逆しないイエスを拒み、かえって敵意をつのらせました。《ユダヤ人たちは、キリストを死刑にするようピラトを脅迫します(9-12)》
「しかし彼らはあくまで言い張って、『この人は、ガリラヤからここまで、ユダヤ全土で教えながら、この民を扇動しているのです。』と言った」(ルカ23:5)。「こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは激しく叫んで言った。『もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです』」(12)。「彼らは激しく叫んだ。『除け。除け。十字架につけろ。』ピラトは彼らに言った。『あな>たがたの王を私が十字架につけるのですか。』祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません」(15)。これが、罪に支配された人類の罪です。神の民として歩んだユダヤ人も例外ではありません。いのちと幸いを与えてくださる創造主を拒み、富や力や自分自身を神としています。《キリストは辱かしめを忍んで十字架に向かわれました(13-16)》
主は一切弁明されませんでした。一言も発っせられない主の姿にピラトも驚きます。これもまた預言されたの通りでした(イザ53:7)。いぶかるピラトに主は、すべてが彼の権威でもユダヤ人の権威でもなく、主の権威のもとに導かれていることであることを教えられました(11)。主は父の命令に従われました。それはご自身があらかじめ告げておられたことです(10:18)。神のご計画の確かさが、ここにあかしされています。人のあらゆる思惑を越え、人のあらゆる罪を受けとめて、主は、すべての人の罪の贖いの>ためにご自身のいのちを死に渡されたのです。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅>びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである」(3:16-17)。