2017年11月12日・・・贖いの使命を全うされた主
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。ヨハネ19:30(17-30)
記者ヨハネは、十字架で起こった事も厳選して記しました。この箇所を通して、イエス様が、私たちの神であり、私たちを罪から救って下さるお方である事の確信を深めましょう。
《主はユダヤ人の王として十字架にかかられました(19-22)》
ピラトは、「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」という、罪状書きを、ラテン語、ギリシャ語、ヘブル語で記しました(19-20)。大勢の人がそれを読みました。祭司長たちは、イエス様が、「ユダヤ人の王と自称した」に訂正するよう要求しましたが、ピラトはこの罪状書きの訂正を拒みました。ここにも、神様の支配がありました。神は、キリストが罪のために審かれたように見做す事を許されませんでした。あくまでイエス様はユダヤ人の王(メシヤ)であり、この方は罪が無いのに審かれ死なれた事が証しされるように、導かれた。すべてのことは、どんな状況にあっても神の支配の中にある。私たちはそこに平安を見出そう。
《主は十字架の上でみこころを成されました(23-27)》
犯罪の見せしめとして執行されていた十字架でしたが、主の十字架は違いました。主がご自身の支配のもとみこころをなされた主のみわざでした。兵士達はイエス様の着物を分配しました。縫い目のない下着をくじ引きにした兵たちの行ないも預言の成就でした(詩22:18)。些細な事、思いがけない事にも、神様の御計画が成就していることを覚えましょう。また、主は、激しい苦しみの中で、母マリヤの世話を、弟子ヨハネに託されます。主は、救い主の使命を全うするため、肉の母には酷なことばも語られました。しかし主は、この最期の時に、マリヤに声をかけ慰めを与えました。この一言で、彼女はどれだけ慰められたでしょう。そして死別の悲しみは、主の復活によって喜びに変る。主に信頼する者は、主の配慮の中で守られ、決して失望させられる事はありません。
《主は、罪の贖いの完了を宣言して、自らを死に渡されました(28-30)》
主はすべての事(預言の成就、贖いの完成、また産みの母の今後の備え、などすべて成すべきこと)を成し終わったことを確認されました(28)。そしてご自身の死に関する最後の聖書の預言を成就するために「わたしは渇く」と言われました(29)。当初は、罪の贖いのために受ける苦しみを全うするために、痛みを和らげる酸いぶどう酒を受け取られませんでした(マタ27:34)。しかし苦しみの杯を飲み干された時、「酢を飲ませました」(詩69:21)の預言が成就するために求められたのです。それから主は、自らの霊を父に渡す事を大声で宣言され(ルカ23:36)、(贖いのみわざを)「完了した」と宣言して霊を父に渡されたました。だれも主からいのちを取る事のできる者はいません。イエス様は父の命令に従い私たちの罪のために、自ら死なれました。そして三日・・・目に死者の中から復活されます(10:18)。この方以外に私たちを罪と死から救って下さる救い主はおられません。