2017年12月10日・・・あなたはわたしを愛しますか
イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。ヨハネ21:17(1-23)復活の主は弟子たちにガリラヤで会えると約束され、弟子たちはガリラヤに行って待っていた時のことです。主はご弟子たちの信仰と召しを再興して下さいました。
《ペテロは、復活を知った後でも主の働きに戻れないでいました(1-3)》
主イエス様は、弟子たちの前に2度も姿を現しておられました(14)。しかし主を否んでしまったペテロは、使徒としての働きに戻ることはできないと考え、漁師に戻ろうとしていた。かつて、自分だけはつまずかないと主張した心に偽りはありませんでしたが、彼は試練に屈してしまいました。私たちも同様のつまずきを経験します。しかし、聖徒の挫折も主のご計画の中にあります。主は私たちをも見捨てずに、祈ってとりなしておられます(ルカ22:31-32)。《主はペテロに声をかけ、受け入れてなぐさめられました(4-14)》
弟子たちは漁に出ましたが、夜通し漁をしても、何も取れませんでした。主から離れて何かをやってもうまく行かない事、それも私たちを正しい道に回復しようとする主の恵みです。主は彼らを受け入れ慰めて下さいました。御自身であることをひけらかさず「子どもたちよ。食べるものがありませんね」と岸からねぎらいの声を掛けられました。そして主は、御自身の力によって漁を成功させて下さいます。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます」。そうするとおびただしい数(153匹)の魚がかかりました。大漁の奇蹟の再現を通して、彼らの救いと召しの原点を思い起こさいました。さらに主自ら、食事を用意し、彼らを食卓に招かれました。主との親しい交わりを、彼らは再び味あうことができたのです。主は私たちをも、創造の目的であった主との幸いな交わりを用意して招いておられます。《主は、御自身を愛するかと問いかけ、立ち上がらせて下さいました(15-23)》
主はいきなり「従いなさい、愛しなさい」とは命じることはされず、ただ「わたしを愛しますか」と問われます。愛することのできる能力や資格ではなく、御自身の愛に答えようとする「意思」を求めておられます。主は「無私の愛で」愛するかと問われましたが、ペテロは「お慕いしています」としか答えられませんでした。そして三度目の主の問いは、「わたしを慕うか」という意味の愛の問い掛けでした。問いと答えが一致できたのは、ペテロが上がったからではなく、イエス様が降りてこられたからです。今の最善で従う者を主は受け入れ成長させて下さいます。ペテロは、主に愛された弟子(ヨハネ)を自分と比較して気にします。主は改めて、ただ御自身に従うよう命じられました(23)。真剣である故に、私たちは他の人と比べて一喜一憂します。しかし各自に主の御計画があります。他の人に気を取られず、ただ主に従えば良いのです。主は御自身を愛する者を豊かに導いて下さいます。