2017年12月31日・・・回顧と感謝の次にあるもの
わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩103:1-2)
一年を振り返り、主の下さった恵みを思い起こし、感謝と賛美を新たにしましょう。
《主をほめたたえよと自分に告げる祝福(1-8)》
記者は自分のたましいに呼びかけ「いつも、どんな時でも」主の御名をほめたたえよと告げます。苦しい時,不平を言いたくなる時であっても、主の良くして下さった事を忘れるなと命じています。聖書は耐えず「喜び、祈り、感謝せよ」と命じます(1テサ5:15-18)。嘆きと不平を吹き飛ばす程に、主が良くして下さっているからです。2-8節にあるように、大きな犠牲をもって罪・咎を赦し、最大の病である罪をいやし(1ペテ2:24)、いのちを救い(ヨハ5:24)、恵みあわれみ(1ペテ1:3)、良いもので満たし(2コリ9:8)、日・・・々新たにし(2コリ4:16)、正義を成し(ロマ8:28)、道を示し(ヨハ14:6)、忍耐して下さいます(2テ3:9)。主は信じる者を見捨てず守り、すべての事を永遠の祝福のために最善に導いておられます。だからすべての事において賛美し感謝できるのです。
《主は、罪と咎から救い出して下さいました(9-19)》
もし「主はどうせ自分に何もしてくれない」と主に心を閉ざすなら、幸いな関係を結べません。恵みを受けることも、主のすばらしさを知ることもできなくなってしまいます。これこそ致命的な罪です。また「私は神なしで正しく十分やっている」と言われるかも知れません。しかし、その考えを親子に当てはめ「自分は親なしでやってゆけるから、親とは関係ない」と言う子は正しいでしょうか。たとい社会で良い人であっても、人は罪に生まれ罪に支配され、罪をやめられません。だれが救い出して下さるでしょうか(ロマ7:18)。しかし主は、私たちを罪から贖い出して下さいました(ロマ7:25)。この詩篇の9-19節に、主の赦しの恵みの豊かさが証しされています。主は豊かに赦し、豊かに恵もうと願っておられます。そのために十字架で私たちの罪を負って、信じるだけで赦して下さる準備をされました。どこへ行っても東と西は離れているように、主は私たちを罪から救って下さいました.(ロマ8:1)「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」。
《主の恵みを覚え、あらゆる時に賛美して歩みましょう(20-22)》
記者はすべてのものに「主をほめたたえよ」と呼びかけます。すべての造られたものたちと共に、主を賛美しましょう(詩113:3)。また行ないをもって主を礼拝し、賛美しましょう。自分を神にささげ神を喜ばせて生きる事が、主の栄光をあらわす礼拝です(ロマ12:1-2)。時を生かして用いましょう(詩篇90:12,エペ5:16)。時は、目標を達成するために自由と共に与えられました。神を喜び感謝して賛美して神の栄光をあらわすことは、天地創造の目的であり、第二の創造である救いの目的です。(ピリ2:10-11)「それは、......すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです」。二つの終わりの時があります。地上の生涯の終わり、そして神がすべてが新しくされる救いの完成の時です。