2018年2月18日・・・ユダヤ人も異邦人も共に神の宮に築かれる
このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。エペソ2:15-16(11-22)
聖書はこの箇所で、あらゆる違いを乗り越えて一致ある教会を完成させて下さる主の恵みを伝えています。
《主から離れていた異邦人もキリストにより近付けられました(11-13)》
神の取り扱いの中でイスラエルは、外の民族と区別されてきました(11-12)。同じ祖先から出た全ての民から、神はアブラハムを選び出して約束を与えられました。その約束とは、彼の子孫を大いなる国民として約束の地を受け継がせる事、そして彼の子孫によって、すべての国民が神の祝福を受ける事です。こうしてイスラエルは、神の民として、もっぱら神のために生き働くようされ、他の民族とは分離するよう導かれました。イスラエルは、神の特別の祝福と教えをいただき、神は彼らを通して、諸国にご自身の力と知恵を示されました。他の民族(異邦人)はそのような取り扱いを得られず、神を知らずに歩んできたのです。しかし、「子孫によってすべての国民が祝福される」との約束が成就する時が来ました。イエス・キリストの十字架の救いは、すべての人に伝え、信じるすべての人が頂く、神の祝福です(:13)。
《ユダヤ人も異邦人も一つにされ、神との平和をいただきます(14-17)》
キリストは、異邦人とユダヤ人との間に平和をもたらされました(:14-16)。「二つのものを一つに」とあるように異邦人もユダヤ人も共にキリストによって「真の」神の民とされました。両者を隔てていた戒めは役目を終え除かれたのです。ユダヤ人は、律法を受け神の民である事を誇って高ぶることで神から離れていました。異邦人は律法を知らずに欲望のままに歩んで神から離れていました。放蕩息子の譬え(ルカ15章)にあるように、自由気ままな弟息子、品行方正な兄息子のどちらも、父の前に失なわれたたましいであったようにです。主のみこころは、このどちらも、ご自身のものとして取り戻し祝福する事でした(:17)。平和とは本来の祝された状態にある事。その反対の「罪」は、あるべき状態にない事です。キリストは神との平和を回復するために来て下さいました。十字架の福音こそ、神との平和をもたらす知らせです。
《共に神の家族、キリストを土台として築かれる神殿とされます(18-22)》
キリストは、ユダヤ人にも異邦人にも同じ御霊によって赦しといのちを与え、同じ御霊によって神に近付けるようにして下さいました(:18)。歴史も文化もかけはなれている人であっても、同じ救いの約束と同じ聖霊の導きにより、同じ救いをいただくのです。こうして、同じ神の国民、神の家族とされます。私たちの国籍は、キリストを信じた時から天にあります。そして、私たちは、揺るがないみことばとキリストを土台に築かれて神の住まれる「神殿」とされます。教会はキリストのからだ、生きた建物です。各自が整えられ成長して組み合わされて、全員でキリストを証しし、人々を招きいれ、神の恵みを伝えます。