2018年4月8日・・・「古い人を脱ぎ捨て新しい人を着よう」
また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。エペソ24(17-24)
キリストの十字架の救いは、私たちが罪と死から救われ、祝福に満ちた神と結びつき、キリストの満ち満ちた姿にまで成長することでした。この目標が実現するために、聖書は「新しい人を着なさい」と教えます。
《世に身を任せる生き方の根深さ(17-19)》
神を知らない異邦人のように歩んではならない、とパウロは「厳か」に命じます。エペソの教会が築かれて10年、神を知らなかった時代の習慣をなお克服できないでいた現実がありました。暗くなった知性・・・どんなに知性に優れ教育を収めても良いものを生み出せないのは、無知と頑なな心のため、神のいのちから離れてしまったからです。砕かれた悔いた心こそ、神に受け入れられる道です(イザ57:15)。道徳的無感覚、神や認めず聖書を受け入れないと、善悪の絶対の規準がなく、都合で正義をねじ曲げ、欲望に身を委ねてしまいます(ロマ1:26-27)。
《真理であるイエスキリストは、実を結ぶ歩みを与えられた(20-21)》
パウロは、世に流されかねない人々に確認します。主イエス様は、この世の流れに流されていい、とは教えられず、「地の塩、世の光」となるよう教えられました。キリストは罪と死を滅ぼすために来られました。ご自身の十字架と復活はそのためです。キリストを信じた者は、キリストと共に罪に死に、キリストのいのちで生きるものされました。それは、病に犯された骨髄を殺し、健康な骨髄を移植する治療のようです。この生まれつきの肉から私たちを救い出して下さるのは、十字架の主キリストだけです(使徒4:12、ロマ7:24-25)。キリストは信じる者を決して失望させない真理そのものです(ヨハ16:6,ロマ10:11)。
《古い人を捨て、神に似て造られた新しい人を着なさい(22-24)》
罪からの救いは、罪の生活から救い出される事と切り離せません。キリストを信じて救われた者は、古い人に対しては死んでおり、それを脱ぎ捨てる事ができます。ですから、パウロは、情欲によって滅び行く古い人を脱ぎ捨てて、神にかたどり造り出された新しい人を着るよう命じます。信じた者は、罪から解放されて神の奴隷とされました(ロマ6:1-19)。バプテスマによってキリストを着ました(ガラ3:27)。聖潔にいたる御霊の実を得ました(ガラ5:22-23)からそれを熟させましょう。その実はこれからも、成長し熟して完成し、永遠のいのちに至ります(ロマ6:21-23)。新しい服や立場が、最初ぎこちなくても馴染んでゆくように、私たちは新しいキリストに似た人格を身につけ変えられてゆきます。古い人を捨てて、新しい人を着る。それは、イエス様を信じた者がバプテスマを受けて教会につながる中で、主が命じられた事です。主はこの不可能を可能にしてくださいました。