2018年4月15日・・・「互いのために生きる」
ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。エペソ4:25(25-32)
イエス様を信じて、新しく生まれる人はだれでも、新しい人を着ることができます。では、新しい人を着た者は、どのように生きるのか、この箇所を通して共に確かめましょう。
《悪魔に機会を与えない(25-27)》
私たちが、イエス様を信じてせっかく素晴らしいスタートをしたのに、それを台無しにしようと働く、神の敵がいます。神の敵である悪魔は、神の栄光を喜ぶべき私たちの生涯を台無しにしようと誘惑します。特に愛と平和の関係を壊そうと働くのです。幸いな関係を壊さないために、何を気をつけたら良いかを、パウロは教えます。神の赦しと愛を頂いた者は良くても悪くても善意をもって真実を語りましょう。また怒りをためないようにし、和解を早くするのです。怒らなければならない悪もあります。しかし、怒りに支配されてはなりません。謝るべき事が分かったらすぐに謝り、赦すべき事は赦してひきずりません。主が十字架の犠牲をもって赦して下さった事を思い起こし、善をもって悪に打ち勝ちましょう(ロマ12:17-21)。
《積極的に益を与える(28-29)》
盗みをしない(物だけでなく人の権利を奪わないで大切にする)、恵みのことば(聞く人が益となるように)語ること、悪いことばや行いを捨てる、互いに赦し合う。それは「御霊(私たちの内に住んで下さる神)を悲しませず、喜ばせるためです。「キリストの祝福は、聖霊を通して来るからです。神を喜ばせようと求める時、御霊は喜び、さらに喜ばれる者へと私たちを成長させて下さいます(ロマ8:8-13)。
《悪意を捨て、十字架を覚えて赦し合う(31-32)》
「無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしり」は心の悪意から出ます。そしてその悪意は自己中心から出てきます。悪意の恐しいのは、本人が自覚していない事です。悪意かどうかは、「神が喜ばれるか、他の人も感謝できるか」です。そして人には除けない悪意は、キリストに委ねる時除かれ、満たされない心はキリストが満たして下さいます(ガラ2:19-20)。聖書はさらに、「互いに親切にし、赦し合う」よう命じます。積極的に善を行ない、優しい心で自分から赦す、心と力は、私たちの罪のために十字架で死なれたキリストによって知り、キリストを信じる信仰を通して可能とされます。私たちのためにいのちさえも犠牲にされたキリストの愛が信仰を通して注がれるからです。死からよみがえられたキリストは、私たちをそのように造り変えて下さいます。その祝福の救いは、この方が私を罪から救って下さると信じる信仰を通していただけるよう、すべての人に差し出されています。