2018年4月22日・・・「光の子どもらしく歩みなさい」
あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。エペソ5:8(1-14)
パウロはここでまた救いによる違いを強調します。それは、救いによって、その人の立場が全く変わったからです。キリストの救いによって、私たちの立場はどのように変わるのでしょうか、そしてその立場の変る事は、私たちの生き方にどんな変化をもたらすでしょうか。
《主に愛されている者として愛のうちに歩む(1-2)》
「ですから、愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい」(:1)。全知全能の神である主は、世界を造る前から私たちの事を知って祝福し、「キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました」(1:5)。この主に立ち返り信じた者は、主の完全な愛に囲まれ愛に満たされています。神の愛を実感する時、私たちは自分の価値を確信し、感謝と喜びと自身と勇気をいただきます。そして、どんな時にも主を信頼し、忍耐の内に成長し、希望を確かにしてゆくのです。キリストの生涯と十字架が、神の私たちへの愛を証ししています。
《御国の相続者として御国にふさわしく歩む(3-7)》
「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、淫らな行いも、どんな汚れも、また貪りも、口にすることさえしてはいけません」(:3)。主に喜ばれない行ないやことばを避けるよう聖書は命じます。私たちを愛する主が悲しまれ、また、主を求める人たちを失望させる事がないためです。口にすべきなのは感謝です。神を信じる者にとって、すべては益とされるからです(ロマ8:28)。かつては主を知らず、御国を与えられていませんでした。しかし今は御国をキリストと共に治める相続者とされたのです。ですから私たちは、人々が救いの希望に気付き、同じ祝福にあずかるため、キリストにより頂いが祝福を味わい体現してゆきたいのです。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます」(1テモ2:4)。
《光の子どもとしてキリストの栄光に輝く(8-14)》
救われた者は、かつて罪の闇の中を歩んでいましたが、今は光の子どもとされました。まことの光である主イエス様が、罪の闇に打ち勝ち、私たちを救いの光のもとに導き入れて下さったからです(ヨハ8:12)。光の子どもは、光の実を結ぶ者とされました(:9)。光の子は、主に喜ばれることを判別し光の内を歩んで、やみのわざを明らかにします。こうして人々は、自分の罪や汚れに気付き、救いを求めるようにされます。こうして地の塩、世の光の務めを果たします。光の子が、キリストを見つめつづけると、キリストの光が私たち内に入って内から照らします。そしてキリストの輝きが内から輝き出るのです(2コリ4:6-7)。