2018年5月13日・・・「親子に関する教え」
子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。これは正しいことなのです。
エペソ6:1(1-4)
親子の関係について、聖書が何を教えているかを共に確かめましょう。
《祝福の基礎は、自分が主にあって、主の教えに従うことです(:3)》
聖書が強調しているのは「主にあって」です。単純に主を信頼して従うところに祝福が約束されています。家庭やあらゆる人間関係に、必要なのは、主のみ心に従い、主の祝福を頂くことです。私たちが神の救いをいただくのも、ただ神の約束された通り、福音を信じイエスを主と信じるのみであるのと同じです。主を恐れること(主を信じ、敬い、従い、自分をささげること)こそ「知恵の初め」です。主への恐れなくて、正しく知恵深く歩むことはできません。それは世界を造り人類を造り、世界を愛と正義と忍耐をもって導き、救いを完成して下さる神のことばだからです。
《子どもたちは主にあって、主が立てられた両親に従いなさい(:1)》
これは聖書が一貫して命じていることです(出20:12,箴6:20,23:22)。主が御自身の愛と御計画の中で、両親を通して私たちにいのちを与えられました。両親を保護者、養育者、訓戒し責任を負う者として立てられました。そのことを感謝して両親に従い仕えるのです。イエス様も神であられるのに、両親に仕えられました(ルカ2:51)。またこれは人間関係に関する戒めの一番初めに主が命じられました。良い両親だから、などという条件はありません。例外は結婚に関する教えと同様、主を第一に愛しなさいという戒めに反する場合だけです。この戒めは、祝福の約束を伴っています(:3)。どんな状況にあっても主は御自身の言葉に信頼して従う者を、かならず「良かった」と言えるように導いて下さいます(ロマ10:11,8:28)。
《両親は、主の教えに従って子どもたちを育てなければなりません(:4)》
聖書は子どもの教育について「父たちよ」と命じます。もちろん教育は父親だけでなく、母親も学校も地域社会も、そして教会も係わるべきです。しかし父親は、家庭の「かしら」であり、子どもの養育についても神の前に責任を負うからです。それは父親が子どもを自分の勝手に育てて良いと言うことではありません。主から養育を委ねられているので、委ねられた権威によって子どもを従わせ教育しなさいという意味です。また「子どもを怒らせてはならない」と聖書は命じます。「怒らせる」とは「挑発、激怒させる、じらす、悪化させる」という意味です。親が「自分の怒り」に任せてでなく、主を恐れつつ正直に叱る必要があります。めざすことは、子どもが主を信じ、平安と忍耐を身につけ、正しい自尊心を持つことです。そのために、両親がまず明確な教育の土台を身につける必要があります。全ての善悪の基準は原則も具体例も、聖書に記されています。信じ従うべきお方、そして頼るべきお方は、私たちのために命を捨て死から復活された救い主イエス様です。主の教えは、時代が変わっても変わらない確かな教えです。