2018年5月20日・・・「教会の大切さ」
また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。
(エペソ1:22-23)
創立51年目を迎えた記念礼拝において、改めて教会の大切さ、教会に結びつけられる祝福を確かめましょう。
《キリストは教会を建てるために来られた》
イエス・キリストは、教会を立てるために来られました。「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません」(マタイ16:18)。御子キリストは、教会のためにご自身をお献げになられました。「神がご自分の血をもって買い取られた神の教会」(使徒20:28)とある通りです。教会は真理の柱また土台です(1テモ3:15)。そして教会は、キリストの救いを完成するために「宣教の大命令」(マタ28:19-20)を与えられています。神の御国はキリストと共にある教会を通して完成します。私たちはイエス様に救われて、このすばらしい教会の一員になるように召されています(1テモ2:5)。
《教会がどんなに大きな祝福をいただいているか》
キリストご自身が与えられたのは、教会だと冒頭の聖句が証ししています。教会は、キリストを(愛し守り慈しみ聖め立たせる)かしらをしていただきました。教会は「キリストの体」、神のみこころを行ない、キリストの働きを担うキリストと一体の存在です。教会は、天国の鍵を委ねられています。「わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます」(マタ16:19)とある通りです。
《教会に留まり続けよう》
ぶどうの木のたとえ(ヨハ15:1-11)において、キリストは、ご自身に留まるよう命じられました。イエス様に留まるとは、キリストのからだである教会に留まる事、そうしてこそ、私たちは実を結ぶことができます。そして、宣教命令にあるように、教会は、「主の教えを守るように教え訓練する」機関として立てられています。聖く傷のない教会を立てることこそ、イエス様が十字架で救いを下さった最終目標です(エペソ5:25-27)。大ぜいの様々の方々が人が集まる故に、教会生活には問題が尽きません。しかし、だからこそ愛を学ぶ訓練にふさわしいのです。また新たな魂が加わっていくために、常に欠けや課題があります。それは教会が生きているからです。困難があっても教会に留まって共に仕え合うことを通して、主は、私たちが成長させ、実を結ばせて下さいます。「ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日・・・が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか」(ヘブ10:25)。教会を大切にし、教会に留まりましょう。主のからだ教会に留まっていれば、神が成長させて下さいます(ヤコ1:2-4)。