2018年5月27日・・・「労使の祝された関係」
奴隷たちよ。キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。・・・主人たちよ。あなたがたも奴隷に対して同じようにしなさい。・・・(エペソ6:5-9)
私たちが日・・・々の仕事の関わりにおいて、主に喜ばれ祝福を証しする道を、この箇所から確かめましょう。
《キリストに従うように、真心から主人に従う(5-7)》
キリストを信じて救いをいただく事なしに、キリストに従うように人に従う事はできません。ここに記されている「恐れおののき」は、横暴な主人への恐怖でなく、どうしてあなたは、ここまで私に仕えて下さるのですか、私たちこそあなたに仕えるべき者なのにという敬虔な恐れです。聖書は、利益のために無慈悲になりがちな地上の主人に対しても、キリストに仕えるように仕えなさい、と命じます(1ペテロ2:18-21)。それは、キリストが私たち罪人をも愛し、犠牲をもって仕えて下さったからです。キリストに救われた者は、真摯に仕える事を通して、「世の光、地の塩として」キリストが自分たちにして下さった恵みを証しする事ができます。
《どんな立場にあっても、忠実な者に主は報いて下さる(8)》
利益優先、自己中心の世の中で、キリストに従うように主人に従う事は、困難です。上辺だけのその場限りの仕え方で済まそうという誘惑があります。また仕事は、富や栄誉をもたらす神として、人の心を支配しがちです。こうして人々は、本当の神を捨てて、自分の好むあらゆるものを神としてしまいました(ロマ1:24)。私たちは、このことを思い出さなければなりません。人のいのちは限られており、地上に蓄えたものはやがてなくなってしまいます。死んだ後に神が全てのことを明らかにして審かれるのです(ヘブ9:27)。神は心のうちまで見ておられ、ごまかしは通用しません。私たちを職場に遣わされたのは、主であり、私たちの不正や怠惰をさばき、忠実さに報いて下さるのも、主です。そして主の報いは、立場に関係ありません。主に仕えるように仕えるときに、主が、私たち自身とその職場を祝福して下さいます(マタイ6:33)。
《主人もまた奴隷に対して仕える(9)》
聖書は、主人に対しても「同じように仕えなさい」と命じています。職権を濫用してなりません。主イエス様は、弟子たちに、仕え合うように教えられ、自ら弟子たちの汚れた足を洗って、模範を示されました(ヨハネ12:12-15)。イエス様は、主であり、師であられたのに、しもべ(奴隷)として仕えられました。同じように、主人(上司)の立場にある者は、自らがまず模範となって忠実に働き、部下が喜んで働けるように、生活が守られるように心づかいをするのです。パウロは、主人に被害を与えて逃亡した先でキリストを信じたオネシモを、主人ピレモンの元に送り返し、ピレモンには彼を主にある兄弟として受け入れるよう要請しました。奴隷と主人の関係は変わりませんが、同じ主従関係の中で、キリストの愛と恵みが注がれて一変します。神である主が私たちに仕えて下さったから、私たちは主に仕え、互いに従い仕え合うよう遣わされています(ヨハネ20:21)。