2018年7月15日・・・主のあわれみによる (石川実牧師)
「彼はためらっていた。するとその人たちは、彼の手と彼の妻の手と、二人の娘の手をつかんだ。これは、彼に対する主のあわれみによる。」創世記19:16(12-17)一般にキリスト教では、「信じれば救われる」と言われます。信心深い人は神様が認めて救って下さるということではありません。神様はいい人だから救われるということではなく、どんな人であっても救おうとされています。主のあわれみによって救われるのです。ですが、信仰によって主のあわれみに答えなければ滅びがあります。
《主がこの町を滅ぼそうとしておられる(12-14)》
これは「ソドム」という町の出来事でした。ソドムとは、クリスチャンでない方も、「ソドムとゴモラ」という言葉を聞いている方は多いでしょう。インターネットの百科事典でるウィッキペディアによれば、「ソドムとゴモラは、旧約聖書の『創世記』19章に登場する、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市(商業都市)。後代の預言者たちがソドムとゴモラに言及している部分では、例外なくヤハウェの裁きによる滅びの象徴として用いられている。」と出てきます。《悪い冗談か?(14)》
ロトの婿たちには、自分たちの町が滅びるなんて、悪い冗談のように思われたとあります。直訳をすれば、彼らの目に、笑い事となったと書かれています。今の時代も、罪によって、この世界が滅びるなんて、冗談のように思って取り合わない人たちがたくさんおられます。《主のあわれみによる(15,16)》
冗談のように思わなかった人たちは、神様のあわれみにあずかることができました。「彼はためらっていた」とも書かれていますが、神の使いである天使たちは、ロトとロトの妻とふたりの娘の手をとって、滅びる寸前の町から連れ出され、町の外で一息つかされます。《いのちがけで逃げなさい(17)》
一息ついてそれでよかったよかったではありません。「山にまで逃げなさい」とは、口先の信仰告白ではなく、心の底まで変えられることでしょう。イエス・キリストは、罪深いこの世界と共に私たちが滅んでしまわないようにと、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかって下さいました。この素晴らしい神様のあわれみに、十字架を見上げつつ、天国の山まで脱出していきましょう。「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」
(Iテモテ1:15)